斎藤昌三(読み)サイトウ ショウゾウ

20世紀日本人名事典 「斎藤昌三」の解説

斎藤 昌三
サイトウ ショウゾウ

大正・昭和期の書物研究家,随筆家



生年
明治20(1887)年3月19日

没年
昭和36(1961)年11月26日

出生地
神奈川県座間町

旧姓(旧名)
斎藤 政三(サイトウ ショウゾウ)

別名
号=桃哉,未鳴,少雨叟,湘南荘

学歴〔年〕
旧制中卒

経歴
原合名会社、横浜逓信局、大蔵省建設局を経て、大正6年アメリカ貿易店・五車堂に勤務。かたわら、発禁本、性神の収集や研究に打ち込み、大正5年発禁作品集「明治文芸側面鈔」を編む。商売をやめ、以後この道一本に生きた。14年「書物往来」編集同人、昭和3年明治文化研究会編集同人となり、6年7月には「書物展望」創刊参画、8年以降は単独編集人として手腕を発揮。この間、「現代日本文学大年表」(6年)、「現代筆禍文献大年表」(7年)を作成するなど近代文学書誌の基礎を築いた。戦後は「好色日本三大奇書」など艶本紹介書を多数出した。34年茅ケ崎市立図書館名誉館長。書物随筆に「書痴散歩」「閑版 書国巡礼記」「紙魚供養」「紙魚地獄」などがある。一方、俳句にも親しみ、句作は「新暦」「青芝」に拠る。句集に「還暦元年」「湘南白景」、没後豆本自選句集「明治の時計」が刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤昌三」の解説

斎藤昌三 さいとう-しょうぞう

1887-1961 大正-昭和時代の書物研究家,著述家
明治20年3月19日生まれ。大正13年から神奈川県茅ケ崎にすみ,雑誌「いもづる」「書物往来」などを創刊。昭和6年書物展望社を設立。「現代日本文学大年表」(改造社版)を編集した。昭和36年11月26日死去。74歳。神奈川県出身。名ははじめ政三(しょうぞう)。号は未鳴,少雨荘(叟)など。著作に「書物誌展望」「書痴の散歩」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「斎藤昌三」の解説

斎藤 昌三 (さいとう しょうぞう)

生年月日:1887年3月19日
大正時代;昭和時代の書物研究家;随筆家
1961年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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