斎藤清衛(読み)サイトウ キヨエ

20世紀日本人名事典 「斎藤清衛」の解説

斎藤 清衛
サイトウ キヨエ

大正・昭和期の国文学者 元・広島大学教授



生年
明治26(1893)年5月26日

没年
昭和56(1981)年3月4日

出生地
山口県熊毛郡高水村

別名
筆名=斎藤 伎世枝

学歴〔年〕
東京帝大文科大学国文学科〔大正7年〕卒

経歴
埼玉師範教諭を経て、大正10年広島高師教授。昭和8年より5年間教壇を離れて行脚生活を送ったのち、15年新設の北京師範大教授に就任。ついで京城大教授となるが敗戦となり帰国。21年広島文理大教授、26年東京都立大教授、のち東洋大教授、相模女子大学教授などを歴任著書に「精神美としての日本文学」「日本文芸思潮全史」「中世日本文学」「南北朝時代文学通史」など多数。ほか、紀行、随筆集も多い。日本文学の思想性・精神美の探究に顕著な足跡を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤清衛」の解説

斎藤清衛 さいとう-きよえ

1893-1981 大正-昭和時代の国文学者。
明治26年5月26日生まれ。広島高師教授などをへて,北京師範大教授,京城帝大教授となる。戦後は広島文理大,都立大などの教授をつとめた。専門中世文学。昭和56年3月4日死去。87歳。山口県出身。東京帝大卒。筆名は斎藤伎世江。著作に「国文学の本質」「中世日本文学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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