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斎藤監物 さいとう

美術人名辞典の解説

斎藤監物

勤王家。常陸国静神社の祠官。名は一徳、号は文里。藤田東湖に師事する。万年元年同志と共に桜田門外の変を起こした後、老中脇坂邸に入って訴状を呈した。万延元年歿、39才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

斎藤監物 さいとう-けんもつ

1822-1860 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
文政5年生まれ。常陸(ひたち)(茨城県)静神社の神職。加倉井砂山,藤田東湖に師事。天保(てんぽう)15年幕府による水戸藩主徳川斉昭(なりあき)への隠居・謹慎処分に抗議し,禁固4年に処される。のち桜田門外の変にくわわって重傷を負い,安政7年3月8日死去。39歳。名は一徳(かずのり)。号は文里(ぶんり)。変名は佐々木馬之介。

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朝日日本歴史人物事典の解説

斎藤監物

没年:万延1.3.8(1860.3.29)
生年:文政5(1822)
桜田門外の変で死亡した水戸藩尊攘派。諱は一徳,号は文里,変名は佐々木馬之助。父は斎藤文静。代々常陸国那珂郡静村(茨城県瓜連町)静神社の神職,静長官を襲う。藤田東湖に学ぶ。藩主徳川斉昭が設置した弘道館内の鹿島神社の神官となる。弘化1(1844)年,斉昭の隠居謹慎時,領内の神職を糾合して処罰解除運動に参加,隠居居村慎。嘉永2(1849)年11月処分解除。安政5(1858)年,戊午の密勅の遵奉と安政の大獄の阻止を求めて活動,6年5月神職61人を率いて出府,連署建議した。他方,他藩との連携,テロを企図し桜田門外の変に参加,負傷し死亡。辞世「国の為め積る思ひも天津日に融て嬉しき今朝の淡雪」。

(吉田昌彦)

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