しず‐じんじゃしづ‥【静神社】
- 茨城県那珂市静にある神社。旧県社。祭神は健葉槌命(たけはづちのみこと)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、手力雄尊(たぢからおのみこと)、思兼命(おもいかねのみこと)。健葉槌命が機織りの法を教えたことにちなむ創建と伝えられる。常陸国の二宮。静明神。おしずさん。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
静神社
しずじんじや
[現在地名]瓜連町静
静のほぼ中央、帝青山の山頂に老杉に囲まれて鎮座する。祭神は建葉槌命。手力雄命・高皇産霊尊・思兼命を配祀する。旧県社。
祭神の建葉槌命は「古語拾遺」によると倭文を織って天石窟戸の天照大神に仕えたとあり、「日本書紀」の神代によると従わなかった星の神の香香背男が「倭文神建葉槌命を遣せば服ひぬ」とみえる。「三代実録」の仁和元年(八八五)五月二二日条に「常陸国従五位下静神、稲荷神並授
従五位上
」とあり、「延喜式」神名帳の久慈郡七座のうちに「静神社名神大」とある。「常陸二十八社考」によると那珂郡三三ヵ村の鎮守で、常陸第二宮と称された。慶長七年(一六〇二)徳川秀忠より神領一五〇石を与えられ、寛文七年(一六六七)徳川光圀が社殿を修営した。
静神社
しずじんじや
[現在地名]那珂町堤
堤の南東字塙に鎮座する。社地は森に囲まれ、その南側には水田が開ける。祭神は手力雄命。旧村社。縁起では大同二年(八〇七)の勧請という。初め八幡宮であったが、元禄九年(一六九六)徳川光圀の命で廃され、現祭神を奉斎。光圀が神鏡一面を寄進したと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
静神社
しずじんじゃ
茨城県那珂(なか)市静に鎮座。建葉槌命(たけはづちのみこと)を主祭神とし、手力雄命(たぢからおのみこと)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、思兼命(おもいかねのみこと)を配祀(はいし)する。建葉槌命は天孫降臨に先だち国土平定に功があり、一方で倭文神(しとりのかみ)ともいい、織物の勧奨改良に活躍したと伝えられる。創建の時期は不明であるが、『三代実録』によると、885年(仁和1)神階従(じゅ)五位上となり、延喜(えんぎ)式内社。江戸期には社領150石の朱印を受けた。旧県社。例祭は4月1日で磯降(いそおり)祭ともいう。社宝に、「静神宮印」と刻された銅印(国重要文化財)、三十六歌仙額(県指定文化財)がある。
[茂木貞純]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
静(しずか)神社
京都府京丹後市網野町磯にある神社。当地出身の静御前を祀る。鎌倉時代に創建され、1782年に火災で焼失。もとの場所から約200メートル西の現在地に再建されたと伝わる。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の静神社の言及
【瓜連[町]】より
…主産業は農業であるが,生産性は低い。《常陸国風土記》に記された〈静織の里〉の地といわれ,織物の神建葉槌命をまつった静神社(常陸二宮)がある。また南北朝期に南北両軍の決戦場となった瓜連城跡,江戸時代に常陸浄土宗の総本寺であった常福寺がある。…
※「静神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 