コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

斎藤義龍 さいとうよしたつ

2件 の用語解説(斎藤義龍の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

斎藤義龍
さいとうよしたつ

[生]大永7(1527)
[没]永禄4(1561).5.11. 美濃
安土桃山時代の武将。道三の子。また美濃の守護土岐頼芸の子ともいわれる。母は三芳野。初名は新九郎高政。父道三は守護代だったが,頼芸を追放して美濃を掌中に収めた。義龍は長じて道三を討ち (1556) ,戦国大名として美濃を制圧したが,病死した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

斎藤義龍
さいとうよしたつ
(1527―1561)

戦国大名。道三(どうさん)の子。俗説では土岐頼芸(ときよりのり)の愛妾(あいしょう)三芳野(みよしの)が、頼芸の種を宿してのち道三に嫁して生んだ子で、後の道三・義龍の不和はこれに起因すると伝える。初め新九郎利尚(としひさ)、のち范可(はんか)と号す。1554年(天文23)道三より家督を譲られたが、56年(弘治2)4月長良(ながら)川畔に道三を討つ。58年(永禄1)治部大輔(じぶだいぶ)に任官、翌59年将軍相伴衆(しょうばんしゅう)に列し、以後たびたび織田信長と争う。60年末伝燈(でんとう)寺の別伝(べつでん)に美濃(みの)禅宗寺院の寺統権を与えたことから、美濃の禅宗界を揺るがす別伝の乱が起こり、その渦中の永禄(えいろく)4年5月11日病死した。美濃斎藤氏3代では道三の斬新(ざんしん)性がいわれるが誤りであり、義龍に至り宿老(しゅくろう)制、貫高(かんだか)制の採用や宗教統制策など戦国大名としての萌芽(ほうが)的諸政策がみられる。[谷口研語]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

斎藤義龍の関連キーワード仁和寺宮守理法親王仁和寺宮覚道法親王エヌ没・歿勃・歿・没久野宗能佐伯惟治土御門有脩宗像氏続

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

斎藤義龍の関連情報