戦国大名。道三(どうさん)の子。俗説では土岐頼芸(ときよりのり)の愛妾(あいしょう)三芳野(みよしの)が、頼芸の種を宿してのち道三に嫁して生んだ子で、後の道三・義龍の不和はこれに起因すると伝える。初め新九郎利尚(としひさ)、のち范可(はんか)と号す。1554年(天文23)道三より家督を譲られたが、56年(弘治2)4月長良(ながら)川畔に道三を討つ。58年(永禄1)治部大輔(じぶだいぶ)に任官、翌59年将軍相伴衆(しょうばんしゅう)に列し、以後たびたび織田信長と争う。60年末伝燈(でんとう)寺の別伝(べつでん)に美濃(みの)禅宗寺院の寺統権を与えたことから、美濃の禅宗界を揺るがす別伝の乱が起こり、その渦中の永禄(えいろく)4年5月11日病死した。美濃斎藤氏3代では道三の斬新(ざんしん)性がいわれるが誤りであり、義龍に至り宿老(しゅくろう)制、貫高(かんだか)制の採用や宗教統制策など戦国大名としての萌芽(ほうが)的諸政策がみられる。
[谷口研語]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新