朝日日本歴史人物事典 「土岐頼芸」の解説
土岐頼芸
生年:文亀1(1501)
戦国時代の武将。美濃国(岐阜県)守護。政房の子。左京大夫,美濃守。兄との守護職相続争いに敗れ,美濃方県郡鷺山城に不遇をかこっていたが,のちの斎藤道三によって美濃国主に擁立され,山県郡大桑城に入城。やがて道三と不和になり,ついには美濃を追われて,土岐守護家はここに滅亡したという。細部については諸説あるが,道三によって美濃守護に擁立されたのは天文4(1535)年のことと推定され,翌年美濃守に任官。最終的に美濃を追われた年は天文21年とする説が有力であるが,確定的ではない。その後,近江六角氏に寄宿し,晩年は織田信長に扶持されていたらしいが,下総万喜の土岐庶流のもとにあったともいう。天正10(1582)年,旧臣の稲葉良通(一鉄)に迎えられ美濃大野郡岐礼にあり,まもなく同地で病没。鷹の絵に優れ,同時代の武人画家,土岐洞文と同一人物とする説もある。俗説では道三の子義竜の実父であるという。
(谷口研語)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報