土岐頼芸(読み)ときよりのり

改訂新版 世界大百科事典 「土岐頼芸」の意味・わかりやすい解説

土岐頼芸 (ときよりのり)
生没年:1502-82(文亀2-天正10)

戦国時代武将。法名宗芸。美濃守護土岐政房の子。政房の死後家督をついだ兄頼武が,1535年(天文4)長井規秀(斎藤道三)のクーデタで追われたあと,道三に擁立され美濃守護となる。以後道三に実権を奪われたまま守護として在国したが,52年道三に追放された。その後六角氏の保護をうけ再起をはかるが果たせなかった。父政房のあとをうけて鷹の絵を得意としたと伝える。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土岐頼芸」の解説

土岐頼芸 とき-よりなり

1501-1582 戦国-織豊時代の武将。
文亀(ぶんき)元年生まれ。土岐政房(まさふさ)の次男。斎藤道三に擁立され,兄土岐頼純(よりずみ)を越前(えちぜん)(福井県)に追放して美濃(みの)(岐阜県)守護となる。天文(てんぶん)21年道三とあらそって敗れ,のち尾張(おわり)(愛知県)の織田信長をたよったとされる。鷹(たか)の絵が得意で,土岐洞文と同一人物との説もある。天正(てんしょう)10年12月4日死去。82歳。

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世界大百科事典(旧版)内の土岐頼芸の言及

【斎藤道三】より

…道三は父の死により1533年(天文2)家督をつぎ,翌年長井氏の惣領長井藤左衛門尉景弘を倒した。さらに35年土岐頼芸(よりのり)をかついで,美濃守護土岐次郎頼武追放のクーデタに成功し,美濃国土岐家の実権をにぎった。しかし,国内の土岐・斎藤一族の反抗,それと結ぶ隣国の朝倉・織田氏の国内侵入により国内は混乱をつづけた。…

【土岐洞文】より

…〈洞文〉印をもつ《鷹図》などの作品が現存するが,土岐氏系図には記載がない。《画工便覧》は洞文を土岐頼芸(よりのり)の号としているが,頼芸ならば和歌に長じて文人的性格をもち,画技の習熟も考えられる。《細香斎図》(栃木県博物館)には円覚寺122世景初周随若年の著賛があり,越中黄梅派との脈絡が想定され,洞文画様式に曾我派的特色がみられることがうなずける。…

※「土岐頼芸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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