斎藤香玉(読み)さいとう・こうぎょく

朝日日本歴史人物事典 「斎藤香玉」の解説

斎藤香玉

没年:明治3.3.29(1870.4.29)
生年:文化11(1814)
幕末明治初期の画家上野国緑野郡緑野村(群馬県藤岡市)に,郷士斎藤一之進の3女として生まれる。名は世濃。父はのち江戸に移り旗本浅倉播磨守の用人となった。香玉は10歳前後で渡辺崋山門人となって絵を学び,後年崋山十哲ひとりに数えられた。のちに旗本松下次郎太郎に嫁したが,それ以後筆技が衰えたといわれる。崋山の画法を忠実に守った手堅い描写を特色とする。崋山没後は佐竹永海に入門した。東京・入谷の威応寺に埋葬された。<参考文献>板橋区立美術館『江戸の閨秀画家展/図録

(安村敏信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤香玉」の解説

斎藤香玉 さいとう-こうぎょく

1814-1870 江戸時代後期の画家。
文化11年生まれ。10歳から渡辺崋山(かざん)にまなび,門下の十哲のひとりにかぞえられた。崋山没後は佐竹永海に師事し,のち旗本の松下次郎太郎と結婚した。明治3年3月29日死去。57歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。名はよの。別号に聴鶯。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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