朝日日本歴史人物事典 「斎藤香玉」の解説
斎藤香玉
生年:文化11(1814)
幕末明治初期の画家。上野国緑野郡緑野村(群馬県藤岡市)に,郷士斎藤一之進の3女として生まれる。名は世濃。父はのち江戸に移り旗本浅倉播磨守の用人となった。香玉は10歳前後で渡辺崋山の門人となって絵を学び,後年崋山十哲のひとりに数えられた。のちに旗本松下次郎太郎に嫁したが,それ以後筆技が衰えたといわれる。崋山の画法を忠実に守った手堅い描写を特色とする。崋山没後は佐竹永海に入門した。東京・入谷の威応寺に埋葬された。<参考文献>板橋区立美術館『江戸の閨秀画家展/図録』
(安村敏信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報