日本歴史地名大系 「新加納村」の解説 新加納村しんかのうむら 岐阜県:各務原市新加納村[現在地名]各務原市那加新加納町(なかしんかのうちよう)・那加日吉町(なかひよしちよう)・那加日新町(なかにつしんちよう)・那加西浦町(なかにしうらちよう)・那加緑町(なかみどりまち)・那加萱場町(なかかやばちよう)・那加新田町(なかしんでんちよう)・那加神田町(なかじんでんちよう)・那加大谷町(なかおおたにちよう)・那加浜見町(なかはまみちよう)・那加宮浦町(なかみやうらちよう)・那加大門町(なかだいもんちよう)・金属団地(きんぞくだんち)など境(さかい)川左岸、各務原台地の南西端に位置し、南部は旧木曾川河道で三井(みい)川が西流する平坦地。各務(かかみ)郡に属し、北は長塚(ながつか)村。村内を中山道が東西に通る。村名は公地が新たに庄園化された土地の名称(加納)に由来するという(那加町史)。坪内利定は織田信長の美濃攻略の先兵として鵜沼(うぬま)城・猿啄(さるばみ)城(現加茂郡坂祝町)攻めの功により当地に知行を受け、その後織田信忠・信雄に仕えたが、この頃すでに在地の有力者永井・栗木両氏と主従関係にあった。豊臣秀吉とは不和で徳川家康の家臣となり、一時上総国に移ったといわれるが、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦の功により、翌年旧領の羽栗(はぐり)郡・各務郡に知行地六千五三〇石を与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by