新屋町(読み)しんたるやちよう

日本歴史地名大系 「新屋町」の解説

屋町
しんたるやちよう

[現在地名]堺市北花田口きたはなだぐち町一丁・南花田口みなみはなだぐち町一丁・北瓦きたかわら町一丁・中瓦なかかわら町二丁

土居どい(東堀)の外にあり、湯屋農人ゆやのうにん町・戎農人えびすのうにん町・櫛屋農人くしやのうにん対岸の中土居に作られた町。樽屋が集住した。町名は南組の南樽屋みなみたるや町、北組の北樽屋町に対し新しく開かれたことによる。元禄二年(一六八九)堺大絵図によれば当町は四五筆の宅地割からなり、町会所は戎農人町対岸のほぼ中央に所在。湯屋農人町・戎農人町の対岸は二九筆が樽屋で占められた同業者町。樽は堺の重要な産業である酒造の発展に伴い需要が増え、元和の町割の外に新たに樽屋町が開かれたのである。

新屋町
あらやまち

[現在地名]糸魚川市南寺みなみてら町一―三丁目・一の宮いちのみや四丁目・清崎きよさき中央ちゆうおう一―二丁目・おお町一―二丁目・ほん町・新鉄しんてつ二丁目

東西に走る北陸道北側の町で、東は大町、西はよこ町に続き、向い側は七間しちけん町、裏は日本海である。もともとの町である大町・横町の間に成立したと考えられる。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳に新屋町として、高四〇石七斗余、同所改出高七石四斗余で、「此所 酒屋弐軒 米 百拾三石 巳年酒ニ造ル分 米 五拾六石 午年同理り」と記される。天和三年郷帳では荒屋町村として高七七石七斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報