日本歴史地名大系 「新崎村」の解説 新崎村にんざきむら 石川県:鳳至郡穴水町新崎村[現在地名]穴水町新崎・緑(みどり)ヶ丘(おか)・越の原(こしのはら)七尾北湾に面したカイモチ鼻西岸にあり、西の内浦街道に沿う当村出道(でみち)の北は乙(おと)ヶ崎(さき)村、南は志賀浦追分(しがうらおいわけ)。文治五年(一一八九)立券された大屋(おおや)庄(現輪島市)の南方の熊木(くまき)院(現中島町)との境は新崎であった(「大屋庄立券文案」東京大学史料編纂所蔵)。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北(なんぼく)のうち「にいさき」で棟役を負担する役屋は三九間とある。戦国後期頃の給人は後藤氏であった(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)。正保郷帳では高一〇五石余、田方三町余・畑方四町余。 新崎村にいざきむら 新潟県:新潟市旧北蒲原郡地区新崎村[現在地名]新潟市新崎一―三丁目・つくし野(の)一―二丁目・濁川(にごりかわ)一丁目・新崎阿賀野川右岸砂丘上にあり、東を流れる新井郷(にいごう)川を挟んで新崎新田がある。天文年間(一五三二―五五)信濃国から武田氏に追われて当地に来住した古山氏ら七氏が草分となって開発されたと伝える。村域東部の築上山(つかげやま)辺は、上杉景勝と戦った新発田重家が出陣した所という(新崎村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by