新庄 厚信
シンジョウ アツノブ
- 肩書
- 岡山市長
- 生年月日
- 天保5年4月(1834年)
- 出生地
- 備前国岡山(岡山県)
- 経歴
- 勤王の志篤く、維新の際京都に出て諸藩の間を奔走、岡山藩の藩論を勤王に統一することに貢献した。明治元年行政官書記に任ぜられ、徴士、権弁事、2年柏崎県権知事、4年岡山県参事などを経て、6年同県権令に就任。のちいったん辞職するが、7年置賜県権令、8年5等判事を兼任。9年置賜県廃県解職後は二十二国立銀行の設立に参画、また士族授産、公共事業に尽力。22年初代岡山市長となった。
- 没年月日
- 明治36年3月8日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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新庄厚信 しんじょう-あつのぶ
1834-1903 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)5年4月生まれ。備前岡山藩士。藩論を尊王にみちびき,外交掛として幕長戦争阻止につとめる。維新後,柏崎県権知事,岡山県権令などを歴任。のち第二十二国立銀行の頭取,岡山市長をつとめた。明治36年3月8日死去。70歳。本姓は石野。通称は作右衛門。号は載庵。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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