朝日日本歴史人物事典 「新待賢門院」の解説
新待賢門院
生年:享和3.11.1(1803.12.14)
幕末の后妃。孝明天皇の生母。正親町実光の娘。母は四辻公亨の娘千枝子。名は雅子。文政3(1820)年仁孝天皇の後宮に入り,典侍となる。孝明天皇を含め3皇子,1皇女を儲けた。孝明天皇践祚後に宮中を退き藤大納言局と称せられ,従三位に叙せられた。その後,女院号と屋敷地のことなどが議せられ,幕府が諸入用を進上した。嘉永3(1850)年准后宣下および院号宣下を受ける。明治維新後,女院の制度は廃止されるので,后妃制度上,最後の女院である。なお,新待賢門院という院号は,かつて後村上天皇の生母阿野廉子にも用いられている。墓は京都泉涌寺山内の月輪陵域にある。<参考文献>『孝明天皇紀』全5巻
(久保貴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報