雅子(読み)まさこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雅子」の意味・わかりやすい解説

雅子
まさこ

[生]1963.12.9. 東京,港
第126代天皇徳仁皇后在位 2019~ )。外交官の父小和田恆と,母優美子の長女に生まれる。幼い頃からソビエト連邦やアメリカ合衆国などで過ごし,帰国した際は田園調布雙葉中学校などに在学したが,父の仕事の関係で再び渡米。1985年ハーバード大学経済学部を卒業し,翌 1986年に東京大学法学部に学士入学。1987年に中退し,外務省に入省する。外務省では北米局北米第二課に所属し,研修のためイギリスのオックスフォード大学に一時留学した。1993年6月9日,皇太子徳仁と結婚。高度な専門知識をもち,数ヵ国語を操る外交官としてのキャリアをいかした皇室外交が期待された。
男児出産への期待が高まるなか,1999年に流産し,2001年12月1日に長女の愛子内親王を出産。しかし,2004年に雅子と宮内庁との間の軋轢をうかがわせる「人格否定発言」が皇太子よりなされ,さらに適応障害を患っていることが発表され,長い療養生活に入った。2013年頃より復調の兆しをみせ、公務を少しずつ復活させるようになった。明仁退位に伴い,美智子のあとを継いで,2019年5月1日に皇后となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「雅子」の意味・わかりやすい解説

雅子
まさこ
(1963― )

皇后。昭和38年12月9日、外交官小和田恒(おわだひさし)、優美子夫妻の長女として東京に生まれる。父の転勤に伴い、モスクワニューヨークなどで幼児期を過ごす。1971年(昭和46)に帰国して、小学校入学。公立小学校から私立田園調布雙葉(でんえんちょうふふたば)小・中・高校に進んだ。1979年、父の転勤によりアメリカ・マサチューセッツ州のベルモント・ハイスクールに編入し、1985年にハーバード大学経済学部を卒業。翌1986年4月、東京大学法学部に学士入学、同年10月外交官試験に合格。1987年東大を中退して外務省に入省し、経済局国際機関第2課に配属される。1988年、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに研修留学。1990年(平成2)6月、国際関係論修士課程を修了して帰国、同年7月に外務省北米局北米第2課勤務となる。1993年1月皇室会議にて当時皇太子であった徳仁(なるひと)との婚約が決定、外務省を退職し、同年6月9日に結婚。日本赤十字社名誉副総裁などをつとめる。2001年(平成13)12月1日、女子を出産、敬宮愛子(としのみやあいこ)と命名

[小田部雄次]

 2019年5月1日、皇太子徳仁の天皇即位に伴い、皇后となった。

[編集部]

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