日本大百科全書(ニッポニカ) 「新月派」の意味・わかりやすい解説
新月派
しんげつは
中国の文学結社。前期新月派と称される人々は、1923年北京(ペキン)で文人・政財界人を交えたクラブ的集い「新月社」をつくった胡適(こてき/フーシー)、徐志摩(じょしま/シュイチーモー)、聞一多(ぶんいった/ウェンイートゥオ)、饒孟侃(ぎょうもうかん)らをさし、徐志摩を中心に『詩刊』(1926年4~6月)、『劇刊』(1926年6~9月)を出版、新詩に格律詩のジャンルを形成したことが特徴といえる。
後期新月派は、上海(シャンハイ)で新たに雑誌『新月』(月刊、1928年3月~33年6月)の編集出版に携わった徐志摩ら4人、梁実秋(りょうじっしゅう)、潘光旦(はんこうたん)、羅隆基(らりゅうき/ルオロンチ)、葉公超(ようこうちょう)および代表的作家に沈従文(しんじゅうぶん/シェンツォンウェン)らがあげられる。彼らは文学、政治両面で西欧的リベラリズムとデモクラシー実現を目ざした。文学面では「健康」と「尊厳」を標榜(ひょうぼう)し、梁実秋が人文主義の立場から、創造社、太陽社の無産階級革命文学論に反対し、文学の階級性を否定、普遍的人間性を描くことを主張し、魯迅(ろじん/ルーシュン)との論争に発展したことは有名。政治面では胡適、羅隆基がおもに論じ、思想言論の自由、憲法制定、封建文化反対を唱えるが、31年以後右傾化する。前期に比べ政治色が強まったことが特徴とされる。
[小島久代]