人文主義(読み)じんぶんしゅぎ

精選版 日本国語大辞典 「人文主義」の意味・読み・例文・類語

じんぶん‐しゅぎ【人文主義】

〘名〙 文芸復興(ルネサンス)期にイタリアにおこり全ヨーロッパにひろまった精神運動。古代ギリシア・ローマの古典研究を中心に行なうことによって、中世カトリック教会の精神的束縛から脱し、教会の権威よりも人間性を重んじ、文化的教養の発展に努力した思想。人道主義の古典的形態。人本主義ヒューマニズム。〔普通術語辞彙(1905)〕
※風土(1935)〈和辻哲郎〉二「アルプスの北では内面的に深められた古代精神、即ち人文主義が擡頭したのである」

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デジタル大辞泉 「人文主義」の意味・読み・例文・類語

じんぶん‐しゅぎ【人文主義】

ギリシャ・ローマの古典研究によって普遍的教養を身につけるとともに、教会の権威や神中心の中世的世界観のような非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興をめざした精神運動。また、その立場。ルネサンス期にイタリアの商業都市の繁栄を背景にして興り、やがて全ヨーロッパに波及した。代表者は、イタリアのペトラルカボッカチオオランダエラスムスフランスのビュデ・ラブレー、ドイツのフッテン、英国のトマス=モアら。人本主義。ヒューマニズム。ユマニスム

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改訂新版 世界大百科事典 「人文主義」の意味・わかりやすい解説

人文主義 (じんぶんしゅぎ)

英語humanism,フランス語humanisme,ドイツ語Humanismusなどの訳語。西欧語をそのまま写してヒューマニズム,ユマニスム,フマニスムスなどと表記されることも多い。その語義は広狭多様で,人間主義,人本主義,人道主義などの訳語もある。以下の記述においては,一般的意味におけるそれに対しては〈ヒューマニズム〉を,歴史的概念としてのそれに対しては〈人文主義〉をあてて一応の区別をし,かつ主として後者を中心にその歴史を概観することにする。

 広義には,ヒューマニズムとは〈人間もしくは人間に関することがらを最重視する精神態度〉と定義されよう。しかしこの定義は,あまりにも広い内包をもつために,多義的であいまい性を免れない。けだし,すべての世界事象は,何らかの形で人間と関係し,あるいは人間との関係なしには意味をもちえないからである。ここから,さまざまな立場から多様な解釈が生まれ,それぞれの論者がそれぞれのヒューマニズムを主張することになる。しかしその根底には,人間の価値を肯定して,人生の存在意義を明確にしたいという願いがあり,それゆえに人間歴史の発展と呼応して,たえず反省と関心の対象とされてきた。したがってヒューマニズムとは,特定の体系的思想を指すよりも,むしろ人間を尊重する倫理的態度とも考えられる。

 これに対して狭義のヒューマニズム,すなわち人文主義とは,特定の歴史的概念を指す。それは西欧ルネサンス期,とくに15世紀のイタリアを頂点として開花した人間肯定の知的運動で,古代の再発見と結びついて,中世的精神形態からの脱皮を目ざし,地上的人間の活動と人格とを評価し直すことによって,新しい時代の文化・思想を方向づけた。この運動は,フランスをはじめとする全ヨーロッパに広がって,ルネサンスから宗教改革を経て啓蒙主義時代へと発展する,近代的人間観の確立の基軸となった。

 ところでヒューマニズムということば自体は,かなり新しい造語である。1808年にドイツの教育哲学者ニートハンマーFriedrich Immanuel Niethammer(1766-1848)が,その著書のなかで用いたドイツ語フマニスムスHumanismusが嚆矢(こうし)とされる。彼は当時の自然科学偏重の時流に抗して,〈人間性〉を回復し,〈全人格の形成〉を目ざす学問の重要性を唱え,古典を媒介とする教育によってこれを実現しようと呼びかけた。この主張に呼応して,ヨーロッパ各国に共鳴者が輩出し,英語のヒューマニズム,フランス語のユマニスムなどの世界的流行語が生まれたのである。

 これに対して,フマニスムスという新造語の源となるフマニストということばは,はるかに古く,ルネサンス時代にすでに成立していた。その用語例として残っている最も古い資料は,15世紀末のイタリアにさかのぼられる。イタリア語でウマニスタumanista(あるいはラテン語でフマニスタhumanista)と記されるもので,当時の大学で学生用語として発生したもののようで,法学leggeの教授をleggista,教会法canoneの教授をcanonistaと呼ぶならわしに従って,フマニタス学humanitasの教授をhumanistaと呼ぶようになったらしい。ちなみにフマニタス学は当時の大学生たちには最も人気のある学課であった。この慣習はやがてフマニタス学の教授のみならず,広くこの研究にかかわる人々を指すようになり,16世紀には広範に定着して,さらにスペイン,フランス,イギリスなどヨーロッパ各国に渡って俗語化された。

 したがってルネサンス人文主義の核心には,フマニタス研究studia humanitatisの精神が存在する。これは古典的人間教養とでも訳すべきもので,古典古代の文学的研究という側面と,よりよき人間を形成するための知識追究という側面とを兼備している。ブルーニは,これから勉学を始めようとする若者に,次のような励ましのことばを与えたが,それはフマニタス研究の本質を明快に表明している。〈研究とは君にとって二つのものであるべきです。第1には,通俗一般でないより精密で奥深い文学知識の習得を目ざすべきです。第2には,生活や習俗にわたることがらの知識を身につけること。これこそまさしくフマニタス研究と呼ばれるべきものです。これこそ人間を完成させ磨き上げるものなのですから。この分野では,君の知識は多種多様で,あらゆるところから集められるべきです。人間生活を形成し,豊かにし,称賛に値するものにするものならば,どのような知識でもおろそかにしてはなりません〉。

 フマニタス研究の源をさらに遡及すれば,フマニタスという概念はキケロに見いだされるし,フマニタス研究そのものも元来はいわゆる自由七科,なかでも古典文学を教材とする修辞学と切り離せないものであったから,すでに中世の学問組織のなかにも存在して,中世を通して学ばれ続けてきたといわねばならない。したがって人文主義の起源としては,いわゆるカロリング・ルネサンスや12世紀ルネサンスにさかのぼらねばならないし,さらにはアベラールソールズベリーヨハネスやリールのアラヌスといった文人たちにも言及せねばなるまい。またイタリアにおける先行人文主義者としては,ムッサートAlbertino Mussato(1261-1329)の名前が真っ先にあげられるし,12,13世紀にローマ法を再興させたボローニャの法律学者たちを忘れてはならないとする主張もある。その点からすればルネサンス人文主義は中世人文主義の延長にすぎないとする中世主義者たちも少なくない。

 しかしまたいわゆるルネサンス期に,人文主義が人々に新鮮な関心を呼び起こし,活発な人間意識を目覚めさせて,新しい生活態度の動因となったことも否定できない。その点でブルーニの指摘するごとく,人文主義の〈真の祖〉に価する存在はペトラルカであった。古代狂とののしられるまでに古典に没頭する一方で,〈人間の本質を知らず,何故にわれわれは生まれたのか,何処から来り,何処へゆくのであるかということに何の関心ももたずに追求されるような学問は無意味である〉と喝破した彼には,明確に人間尊重の姿勢が見てとれる。こうして,人間の真実の姿を,そのみすぼらしさと高貴さとを,あるがままに追究しようとするペトラルカの態度に倣って,15世紀のイタリアに,フマニタス研究の新時代が開花するのである。

 その中心はフィレンツェであった。ペトラルカの弟子サルターティを中心として形成されたサント・スピリト修道院の集いは,そこから多くの指導的知識人を育成して,文字どおりフィレンツェ人文主義の揺籃(ゆりかご)となった。彼はすぐれた古典学者であるばかりでなく,すぐれた政治家でもあり,書記官長の重職にあってフィレンツェを衰亡の危機から祥運へと導いた。一方彼は書状を送ってギリシア世界の碩学クリュソロラスを招いた(1396)。これから始まるギリシア語学習は,フィレンツェからさらに全世界へと広がるギリシア学熱の端緒となったもので,ルネサンスの古典学はラテン古典からギリシア古典へと大きく対象世界を拡大することとなった。古典学と政治的実践とを,個人の形成と社会(都市)の形成とを,合一させようとしたサルターティの理念は,その弟子であり書記官長ともなったブルーニやポッジョ・ブラッチョリーニらによって継承され,初期人文主義の伝統を形成する。15世紀前半のフィレンツェが政治的人文主義の時代とも呼ばれるゆえんである。彼らを中心に多くの人文主義者が輩出する。マネッティGiannozzo Manetti(1396-1459),L.B.アルベルティ,パルミエーリMatteo Palmieri(1406-75)らはその代表である。彼らの活動によってフマニタス研究はかつての神聖研究studia divinitatisに代わって新しい時代精神の母体となり,それはフィレンツェのみならずイタリア各地に共鳴をよび,ルネサンス文化の繁栄時代を実現することとなる。

 フマニタス研究隆祥の基盤となるギリシア学の発展は,15世紀を通じて目覚ましいものであったが,これには当時の世界情勢も大いに関係があった。すなわちオスマン帝国の圧迫によって滅亡寸前にあったコンスタンティノープル(現,イスタンブール)から,ギリシア人の西ヨーロッパへの移入が相継ぎ,とくに1438-39年に開かれた東西宗教会議(フェラーラ・フィレンツェ公会議)を機に,プレトンベッサリオン,アルギュロプロスIōannēs Argyropoulos(1410-90)など一流の学者が渡来したことは,イタリアのギリシア学に大きな刺激となった。すでに始まっていたギリシア語学習は,ニッコリNiccolò Niccoli(1364-1437)らによってすすめられていたギリシア古典の収集と相まって,次々にギリシア古典の翻訳をすすめていったが,すぐれたギリシア学者たちの参加によって質量ともに変化発展する。とくに目を引くのは,プラトン学の発展で,そのため15世紀後半の人文主義はルネサンス新プラトン主義とも呼ばれるほどプラトンの影響を強く受けた。この中核がフィチーノを長とするプラトン・アカデミー(アカデミア・プラトニカ)で,メディチ家のバック・アップもあって,周囲に傑出した文化人を集めた。ポリツィアーノは古典研究を批判的文献学にまで高めた第一人者であり,ピコ・デラ・ミランドラは《人間の尊厳性》を著して,フィチーノの人間中心の思想を自由意志の哲学へと発展させて,人文主義の頂点を極めた。彼らの活躍によってフィレンツェは〈花の都〉とうたわれ,世界中から留学生が集まった。

 初期の世俗的・政治的性格に代わって,神秘的・瞑想的性格を強めてゆく人文主義は,サロン化への傾斜をすすめ,16世紀ともなれば,まもなく,その日和見性をカルバンに,衒学性をアリオストに攻撃されるようになる。しかし,イタリアでの枯渇化とは逆に,アルプス以北の国々に波及した人文主義は祥運を続け,折から吹き荒れる宗教改革の嵐と交錯しながら,活動を拡大する。オランダのアグリコラRodolphus Agricola(1443-85),ドイツのメランヒトン,フランスのビュデ,イギリスのT.モアらがその代表であるが,なかでもエラスムスの存在は大きい。彼によって人文主義はいっそうキリスト教的基盤へと引き寄せられ,自由・寛容の精神として近代に継承されていった。ラブレーモンテーニュらの懐疑主義的人文主義もこの軌道の上に成熟したものである。

 このように人文主義は,その成立のときから,宗教あるいは政治と科学とのはざまにあって,あるいは基盤の脆弱さを,あるいは非現実的抽象性を批判されながら,にもかかわらず人間存在の根源的要求として求められ続けてきた。とりわけ近年の生命科学をはじめとする自然科学の驚異的発展は,既成の人間観に激しい衝撃を与えており,人文主義のたどってきた歴史から学ぶことは,新しい広義のヒューマニズムの模索のためにも重要だといえよう。なお広義のヒューマニズム,とりわけその近代的展開については〈ヒューマニズム〉の項目を参照されたい。
宗教改革 →ルネサンス
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百科事典マイペディア 「人文主義」の意味・わかりやすい解説

人文主義【じんぶんしゅぎ】

英語humanism,フランス語humanismeなどの訳。人本主義,人間主義,人道主義とも。ルネサンス期に,ギリシア古典に直接触れることを手がかりに,中世封建社会や腐敗したキリスト教会からの人間解放を求めた知的運動に始まる。イタリアのペトラルカ以下のフマニスタス研究がヨーロッパに広がり,ロイヒリンフッテンエラスムス,T.モアラブレーモンテーニュらの人文主義者を生み,一大思想潮流となる。宗教改革,18世紀の啓蒙思想シュトゥルム・ウント・ドラングの文学運動など,その力点の置き方に差のある運動を経て,19世紀後半には新しい〈ヒューマニズム(人道主義)〉が生まれた。トルストイ,R.ロラン,A.シュワイツァーなどがあげられ,日本ではこれを〈人文主義〉とは区別して扱う場合が多い。一般的に,ヒューマニズムとは,人間を真に人間的たらしめている本性(人間性)を尊重し,真に人間的社会の実現を目ざす,理想主義的立場をいう。したがって,人間固有の諸要求,その創造的表現たる芸術・道徳・宗教・科学などを,それらを抑圧する政治的・経済的束縛から解放し,正しい発展・実現を目ざす。
→関連項目アグリコラ一般教養コレージュ・ド・フランスザックス人文主義法学バーゼル大学ボッカッチョマセイス

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旺文社世界史事典 三訂版 「人文主義」の解説

人文主義
じんぶんしゅぎ
humanism

人間性を尊重し,宗教や権力の束縛から人間性の解放をめざす思想。「ヒューマニズム」
古代ローマでは,人間性完成のための教養としてギリシアの学芸を身につけるという意味で,さらに人間性の普遍性を強調する立場を含んでいた。それが中世ではキリスト教の博愛主義と結びついたが,この宗教的ヒューマニズムはあくまでもキリスト教に従属するものであった。近代的ヒューマニズムは,ルネサンス期のイタリアを源流とし,古典文化研究を手がかりとして中世キリスト教支配からの人間の解放を意図する市民階級の精神態度であり,人文主義としてルネサンス文化の根本精神となった。それは現実的・世俗的であるばかりでなく,合理主義の尊重,個性の自由な発露をめざすものであった。現代では,あらゆる非人間的な社会的制約に対する人間性一般の解放を意味し,専制・独裁・戦争などへの批判精神として発現している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「人文主義」の意味・わかりやすい解説

人文主義
じんぶんしゅぎ

ヒューマニズム

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「人文主義」の解説

人文主義(じんぶんしゅぎ)

ヒューマニズム

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人文主義」の意味・わかりやすい解説

人文主義
じんぶんしゅぎ

ヒューマニズム」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の人文主義の言及

【イタリア文学】より

… ところで,先にも触れたように,ペトラルカとボッカッチョは単に文学の手法と詩法においてのみイタリア文学を近代に向かって傾斜させただけでなく,文芸思想においても近代を用意した。すなわち,15世紀イタリア・ルネサンスの基盤をなす〈人文主義〉は,ペトラルカとボッカッチョの古典文献の発掘と再認識に始まったのである。この運動は,ギリシア・ラテンの古典世界とキリスト教世界の調和という主題をめぐって,メディチ家支配下のフィレンツェに〈新プラトン主義〉を生みだして,ロレンツォ・デ・メディチやポリツィアーノのような詩風がもてはやされた。…

【人文】より

…言語は人の文なり〉(《劉子》慎言)ということばは,言語が人間世界を一つの図象に結び合わせる秩序の糸であることを含意している。なお今日,英語のhumanismの訳語〈人文主義〉の〈人文〉はこの漢語に由来する。天文【谷川 道雄】。…

【ツェルティス】より

…ドイツの人文主義者。ドイツ人文主義の父と呼ばれるR.アグリコラの弟子で,詩人として優れ,1487年皇帝フリードリヒ3世によってドイツ人として最初の桂冠詩人に選ばれた。…

【批評】より

…ルネサンス期には,カトリック教会の中世的価値の秩序が危機にひんしていた。そのことが一方では宗教改革,他方では人文主義の活発な批評的精神を生み出した。もちろん宗教改革と人文主義とをその意味で比較するのは,それだけでも複雑な大きな仕事であって,ここではできない。…

【ヒューマニズム】より

… ヒューマニズムという言葉は,本来ラテン語のhumanitasに由来する西欧語humanism(英語),humanisme(フランス語),Humanismus(ドイツ語)からの翻訳語として日本に入ってきた。しかし人間主義,人本主義,人文主義などの漢語による翻訳語が定着せず,片仮名でヒューマニズムと表記されて,そのまま外来語として通用するようになったときには,本来の西欧語がもっていた意味とはやや違った意味を帯びてきたように思われる。西欧語のさまざまの辞典を見ると,〈一般的には人間の人間らしさ,つまり人間性を尊重する心的態度を指すが,特殊的には西欧のルネサンスに固有な,ギリシア,ラテンの古典の学習を通じて人間形成をはかろうとする教養理念を指す〉という説明がきまって出てくる。…

【フランス文学】より

…イタリアの先進文化がしきりに移入され,ギリシア・ローマの古典を文献学的に厳密に研究するとともに,そのなかに新しい人間の生き方を探ろうとするユマニストの活動が活発に行われた。一方また,中世末期の教会の腐敗堕落を厳しく批判し,キリスト教の純化を目ざす改革運動も進められ,ユマニスム(人文主義)は宗教改革運動とも連動する。そして信仰上の対立の果てに,世紀の後半になると,流血の抗争にいたった宗教戦争が,ユマニストのみならず,すべての文学者に難問を投げかけるのである。…

【ラテン文学】より

…キリスト教未公認時代最大のキリスト教ラテン作家はテルトゥリアヌスであったが,後世に与えた影響はキプリアヌスの方が大きかった。313年のキリスト教公認を境に,4世紀から5世紀にかけて,《マタイによる福音書》を叙事詩にしたユウェンクスJuvencus,雄弁家ラクタンティウス,賛美歌作者で人文主義に反対した神秘主義者アンブロシウス,古代最大のキリスト教ラテン詩人プルデンティウスとその後継者ノラのパウリヌスなどが活躍したが,古代最大の2人のキリスト教作家も続いて現れた。一人は,全古典作家に精通した人文主義者である一方,聖書をラテン語に翻訳して,異教の伝統とキリスト教とを照応させたヒエロニムス,もう一人はヨーロッパ最初の自叙伝《告白》と,《神の国》などの著作で名高いアウグスティヌスである。…

※「人文主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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