曽我廼家十吾(読み)ソガノヤ トオゴ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「曽我廼家十吾」の解説

曽我廼家 十吾
ソガノヤ トオゴ


職業
喜劇俳優 脚本

本名
西海 文吾

別名
前名=曽我廼家 文福,筆名=茂林寺 文福(モリンジ ブンプク)

生年月日
明治24年 12月4日

出身地
兵庫県 神戸市

学歴
橘小中退

経歴
明治32年神戸橘座で子役として初舞台。35年大阪に出、39年曽我廼家十郎に入門、曽我廼家文福と名乗る。その後喜劇団を転々、45年曽我廼家娯楽会座頭となり各地を巡演。大正13年永井茶釜と組み文福茶釜一座を興し、北九州で人気を博した。昭和2年曽我廼家十吾と改名、3年渋谷天外、浪花千栄子らと大阪に松竹家庭劇を結成、座長となる。23年曽我廼家五郎没後、明蝶、五郎八らを加えて松竹新喜劇を創立、24年道頓堀中座で旗揚げ公演。31年天外と対立し、退座、32年再び第2次松竹家庭劇を結成したが、40年解散。仁輪加(にわか)を土台にした芸風で、軽妙にして洒脱、十八番のお婆さん役には定評があった。一方、茂林寺文福の名で喜劇脚本「愛の小荷物」「アットン婆さん」など数百本を書いた。

没年月日
昭和49年 4月7日 (1974年)

伝記
喜劇の帝王 渋谷天外伝上方喜劇―鶴家団十郎から藤山寛美まで渋谷天外伝 大槻 茂 著三田 純市 著大槻 茂 著(発行元 小学館白水社主婦の友社 ’99’93’92発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「曽我廼家十吾」の解説

曽我廼家 十吾
ソガノヤ トオゴ

明治〜昭和期の喜劇俳優,脚本家



生年
明治24(1891)年12月4日

没年
昭和49(1974)年4月7日

出身地
兵庫県神戸市

本名
西海 文吾

別名
前名=曽我廼家 文福,筆名=茂林寺 文福(モリンジ ブンプク)

学歴〔年〕
橘小中退

経歴
明治32年神戸橘座で子役として初舞台。35年大阪に出、39年曽我廼家十郎に入門、曽我廼家文福と名乗る。その後喜劇団を転々、45年曽我廼家娯楽会座頭となり各地を巡演。大正13年永井茶釜と組み文福茶釜一座を興し、北九州で人気を博した。昭和2年曽我廼家十吾と改名、3年渋谷天外、浪花千栄子らと大阪に松竹家庭劇を結成、座長となる。23年曽我廼家五郎没後、明蝶、五郎八らを加えて松竹新喜劇を創立、24年道頓堀中座で旗揚げ公演。31年天外と対立し、退座、32年再び第2次松竹家庭劇を結成したが、40年解散。仁輪加(にわか)を土台にした芸風で、軽妙にして洒脱、十八番のお婆さん役には定評があった。一方、茂林寺文福の名で喜劇脚本「愛の小荷物」「アットン婆さん」など数百本を書いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「曽我廼家十吾」の意味・わかりやすい解説

曽我廼家十吾
そがのやじゅうご
(1891―1974)

喜劇俳優。十吾(とおご)ともよばれた。本名西海(さいかい)文吾。神戸に生まれる。9歳で地元の俄(にわか)芝居で初舞台。1906年(明治39)曽我廼家十郎に弟子入り、文福と名のる。のち各地を転々、十郎の死後五郎の一座に入り十吾と改めた。28年(昭和3)渋谷天外(しぶやてんがい)と松竹家庭劇を旗揚げしたが46年(昭和21)に決別、48年に再度組んで松竹新喜劇をおこした。56年にいったん退団、翌年松竹家庭劇再興、65年解散。淡々として枯れた芸風で、とくにおばあさん役に優れた。また茂林寺(もりんじ)文福の筆名による脚本も多い。

[向井爽也]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「曽我廼家十吾」の解説

曽我廼家 十吾 (そがのや とおご)

生年月日:1891年12月4日
明治時代-昭和時代の喜劇俳優;脚本家
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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