新野東村(読み)にいのひがしむら

日本歴史地名大系 「新野東村」の解説

新野東村
にいのひがしむら

[現在地名]勝北町新野東

勝加茂東しようかもひがし村の北東に位置。村の西部を広戸ひろど川が南西流し、対岸新野西村。新野は「和名抄」記載の勝田郡新野郷の遺称。なお「東作誌」などには新野庄として当村のほか、新野西村・新野山形にいのやまがた村、堀坂ほつさか村・妙原みようばら(現津山市)が記される。新野の名は中世に新野保・新野郷・新野村・新野庄などとみえる。「吾妻鏡」貞応三年(一二二四)九月九日条によれば、足利義氏が承久の乱後の新恩地として新野保などを与えられている。鎌倉末期と推定される足利氏所領奉行人交名(倉持文書)には「新野郷」とある。当地方は播磨広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)の信仰圏内にあり、貞和三年(一三四七)六月二四日の刑部守延譲状(広峯文書)によれば、「ニイ野」などの檀那職が子息幼少のため一期分としてその母に譲られている。同社社家の永徳三年(一三八三)三月二日の肥塚範重譲状(肥塚家文書)では範重の舎弟小四郎に檀那職を譲っているが、天文一四年(一五四五)二月吉日の同氏の檀那村付帳(同文書)にも新野の内として「田中村」「中田村」「おとう」がみえる。また同社社家林家長の文明一四年(一四八二)八月一〇日の檀那村書(同文書)などに「にいの村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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