日本歴史地名大系 「新銭座町」の解説
新銭座町
しんせんざちよう
古くは網干場であったが、寛永一五年(一六三八)常陸水戸藩の郷士鳴海兵庫が新銭鋳造の場所として拝借し、寛永通宝の銭座とした。貞享年間(一六八四―八八)に銭座(新銭座)跡が町並屋敷となった(文政町方書上)。新銭座は寛永一三年銀座役人秋田宗古が芝浜手と江州坂本に設け、初めて寛永通宝を鋳造したともいわれる。この時に天海の推挙により鳴海兵庫が鋳造を命じられ、芝縄手に銭座を設けたともいう(貨幣秘録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報