教育家、攻玉社(こうぎょくしゃ)の創始者。志摩鳥羽(とば)藩士。江戸に生まれ、名は誠一郎、のちに真琴と改名、芳隣(ほうりん)と号した。初め和漢の学を学んだが、1854年(安政1)ころから蘭学を志し、高松譲庵、続いて村田蔵六(大村益次郎)に師事した。1863年(文久3)軍艦操練所翻訳方を命ぜられ、幕府にも出仕するとともに軍艦奉行(ぶぎょう)矢田堀鴻(やだぼりこう)(景蔵)の塾に入った。この間、オランダのピラールの航海書を翻訳して名を知られ、蘭語や西洋数学、航海術を教えるようになり(為錯(いさく)塾)、英語を独習した。1869年(明治2)兵部省海軍操練所出仕となり、一時閉鎖した塾も再興(攻玉塾、のち攻玉社)、数学、航海術を主とした教育を行い、商船黌(こう)、量地黌あるいは女子科、専修数学科を設置するなど塾の発展に努めた。とくに海軍兵学校の予備教育機関としての役目を果たし、上村彦之丞(かみむらひこのじょう)(1849―1916)、鈴木貫太郎、財部彪(たからべたけし)、加藤寛治(かとうひろはる)、百武三郎(ひゃくたけさぶろう)(1872―1963)、大角岑生(おおすみみねお)(1876―1941)、高橋三吉(1882―1966)、広瀬武夫、佐久間勉(1879―1910)など海軍軍人を輩出、また建築学者の中村達太郎(1860―1942)、水産学者の岡村金太郎、地理学者の志賀重昂(しげたか)、歌人の吉井勇などを出した。国字国語問題にも関心をもち、仮名文字の普及のため「かなのとも」を発会させた。さらに数学の近代化に果たした役割も大きい。長子基樹は造船学者として著名である。
[菊池俊彦]
『林季樹編『近藤真琴先生伝』(1937・攻玉社)』▽『『攻玉社百年史』(1963・攻玉社学園)』
幕末・明治初期の教育家。鳥羽藩士の子として江戸の藩邸に生まれる。幕末に幕府設立の軍艦操練所で航海術や数学を学び,1863年(文久3)私塾を開設。維新後の69年(明治2)兵部省に出仕,海軍操練所(海軍兵学校の前身)で教授のかたわら,官舎に一時閉鎖した私塾を再興して攻玉塾(のち攻玉社)と名づけ,数学,航海術などを教えた。81年郷里の鳥羽に商船分校(鳥羽商船学校の前身)を設立。このほか,かな文字の普及や幼稚園教育の紹介なども行った。
執筆者:佐藤 秀夫
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(米山光儀)
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