日倉城跡(読み)ひぐらじようあと

日本歴史地名大系 「日倉城跡」の解説

日倉城跡
ひぐらじようあと

[現在地名]掛合町掛合

掛合の町の上にある標高三七〇メートルの山城跡。一六世紀中頃に山内首藤氏庶流で、備後蔀山しとみやま(現広島県高野町)城主多賀山氏が築いたとされる。「雲陽誌」は「多賀与四郎道定の居城」とする。近郷古事漫筆(庄原市史)に「永正六年(中略)士富山十四代多加山新兵衛飯石郡殿河内村出張、掛合日倉の宮を今の宮に移し、高山八幡宮勧請、日倉八幡と合祭、茲に城を築き、日倉の城と号す」とあって、与四郎道定より数代前の一六世紀初頭の駿河守通憲の頃の築城ではなかろうか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む