日本歴史地名大系 「日在城跡」の解説 日在城跡ひありじようあと 佐賀県:伊万里市川西村日在城跡[現在地名]伊万里市大川町川西標高二〇〇メートルばかりの四峰からなる山城で、その山麓の段丘に構(かまえ)の集落が立地。その東を松浦川が北流する。自然の要害で武士集団の居住地区として構地名が生じた。「松浦家世伝」や松浦系図によると、源久の長子直の四男遊が大川野(おおかわの)に居住したので大河野氏と称し、その弟の披も所領を与えられるまで兄のいる構の峯館(みねやかた)におり、久寿年間(一一五四―五六)遊が築城したといわれる。遊の子茂は大川内(おおかわち)に分れて大川内氏や伊万里氏の祖となり、その弟の大河野知が日在城を継ぐ。正治元年(一一九九)遠江守(北条時政)から鎮西奉行所大蔵次郎あての書状案が伊万里文書にある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by