日寛(読み)にちかん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日寛」の解説

日寛 にちかん

1665-1726 江戸時代前期-中期の僧。
寛文5年8月8日生まれ。日蓮宗。江戸常在寺の日精,日永師事上総(かずさ)(千葉県)の細草檀林化主(だんりんけしゅ)をへて,享保(きょうほう)3年駿河(するが)(静岡県)大石寺26世となる。享保11年8月19日死去。62歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。俗姓伊藤。字(あざな)は覚真。通称は大弐阿闍梨(だいにあじゃり)。号は堅樹院。著作に「安国論愚記」「観心本尊鈔文段」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「日寛」の解説

日寛 (にちかん)

生年月日:1665年8月8日
江戸時代中期の日蓮宗の学僧
1726年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日寛の言及

【大石寺】より

…近世に入ると,蜂須賀至鎮の室による祖師堂の建立,6代将軍徳川家宣の室による諸堂の建立がそれぞれ行われた。近世,大石寺を興隆させたのは26世日寛(1665‐1726)で,堂宇坊舎を建立したばかりでなく,《六巻抄》その他の著述によって大石寺教学を樹立,門下の育成に努めた。明治維新後,日蓮系諸教団は,一致派と勝劣派の二つが組織され,大石寺は勝劣派に属したが,1876年富士五山および京都要法寺,安房妙本寺,伊豆実成寺は勝劣派から分離して日蓮宗興門派を公称,さらに1900年,大石寺は独立して日蓮宗富士派となり,12年には日蓮正宗と公称するにいたった。…

【日蓮正宗】より

…この系統は日興門流,富士門流とよばれ,大石寺,重須本門寺,富士郡西山本門寺,同下条妙蓮寺,小泉久遠寺が富士五山として中山寺院であった。近世にいたり,大石寺26世日寛が大石寺教学を大成した。明治維新後,政府による教団統合の結果,大石寺は勝劣派に属し,1876年富士五山その他は合同して日蓮宗興門派を結成,99年には本門宗と改称したが,翌年大石寺は独立して日蓮宗富士派と称し,1912年に日蓮正宗と改称して現在にいたっている。…

※「日寛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む