日平銅山跡(読み)ひびらどうざんあと

日本歴史地名大系 「日平銅山跡」の解説

日平銅山跡
ひびらどうざんあと

[現在地名]北方町子

日平山の西腹にある。延享三年(一七四六)と推定される延岡領銅錫鉛山覚書、同四年と推定される錫鉛銅山覚書(いずれも内藤家文書)によると、当銅山は延岡藩主有馬氏治世時代に新庄吉右衛門が開発し、山師たちが銅を産出して繁盛していたが、開発とともに薪炭運搬が遠くなったので、三浦氏治世下に操業を中止した。享保一一年(一七二六)延岡町満石新七が操業を再開し、少しずつではあるが銅を産出した。その後、新七と大和屋新十郎が協議のうえ共同で銅を産出したという。当銅山から一里ほど離れた所にあった本鋪一ヵ所には男女一五人の働き手と中水抜一・床屋二・木屋敷一七・焼釜二があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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