20世紀日本人名事典 「日森虎雄」の解説 日森 虎雄ヒモリ トラオ 大正・昭和期のジャーナリスト 生年明治32(1899)年 没年昭和20(1945)年5月24日 出身地熊本県下益城郡砥用町 経歴山村の農家に生まれたが、若くして海外雄飛を志す。台湾を経て、大正11年上海に渡る。春申社に入り社主・西本省三の薫陶を受け、昭和3年「上海日日新聞」記者となる。日中戦争から太平洋戦争にかけて、満鉄、軍、大使館の援助のもとに日森研究所を設立し、中国の政治情報、特に中国共産党に関する情報の収集に従事した。20年軍との関係が悪化し、「帰りなん、いざ」の一文を「上海大陸新報」に投じて帰国した。同年5月の東京大空襲で亡くなった。著書に「中国遊撃運動現勢」「中共二十年史」「現代支那の政党」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日森虎雄」の解説 日森虎雄 ひもり-とらお 1899-1945 昭和時代前期のジャーナリスト。明治32年生まれ。大正11年上海にわたり,西本省三の春申社に入社。昭和3年上海日日新聞記者となる。のち日森研究室を主宰,中国共産党の情報収集に従事。20年軍部との関係が悪化して帰国,3月10日東京大空襲で焼死。47歳。熊本県出身。著作に「現代支那の政党」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by