日浦山城跡(読み)ひうらやまじようあと

日本歴史地名大系 「日浦山城跡」の解説

日浦山城跡
ひうらやまじようあと

[現在地名]海田町東海田、広島市安芸区瀬野川町畑賀

日浦山(三四五・九メートル)頂にあり、「日裡山城」とも書いた。日浦山は中世当時は火村ひむら(日村山)と称し開田かいた庄に属した。瀬野せの川河口を扼する位置にあり、山頂からの眺望はすこぶるよく、斜面も急峻で天険要衝である。

暦応元年(一三三八)三月一〇日に大朝おおあさ(現山県郡大朝町)から安芸に侵入した石見・備後の数万人ともいわれる南朝方の大軍は、安芸国守護武田信武の派遣した守護代福島左衛門四郎入道の率いる北朝方と戦いながら一気に広島湾頭にまで南下し、同一五日には火村山に立てこもった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む