大朝(読み)おおあさ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大朝」の意味・わかりやすい解説

大朝
おおあさ

広島県北西部、山県郡(やまがたぐん)にあった旧町名(大朝町(ちょう))。現在は北広島町(きたひろしまちょう)の一地区。旧大朝町は1926年(大正15)町制施行。1955年(昭和30)新庄(しんじょう)村と合併。2005年(平成17)2月芸北(げいほく)、千代田(ちよだ)、豊平(とよひら)の3町と合併し、北広島町となる。中国山地にあり、旧町域の北部は島根県に接し、古くから山陽山陰の重要路にあたり、近世には三坂峠を越える参勤交代路の宿駅が置かれた。広島市と浜田市(島根県)を結ぶ浜田自動車道の大朝インターチェンジ近くに県営工業団地が造成され、また別荘地、レクリエーション地としての発展も期待されている。国道261号も通じる。農業は米作を中心としているが、転作によるキュウリなどの野菜栽培や畜産が増えている。古くからの中国山地の田植行事を伝える国指定重要無形民俗文化財のはやし田、県指定無形民俗文化財の南条踊などがあり、寒曳(かんびき)山にはスキー場がある。

[北川建次]

『『大朝町史』上下(1978、1982・大朝町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大朝」の意味・わかりやすい解説

大朝
おおあさ

広島県北西部,北広島町北東部の旧町域。中国山地内の大朝盆地にあり,北で島根県に接する。1926年町制。1955年新庄村と合体。2005年芸北町,千代田町,豊平町の 3町と合体して北広島町となった。中心集落の大朝は大朝庄として中世に開かれ,毛利一族の拠点となった。近世にはたたら製鉄の一拠点となり,安芸と石見を結ぶ街道に沿う宿場町であった。今日では米作中心の農村で,安芸のはやし田(国指定重要無形民俗文化財)や南条踊民俗芸能が伝わる。吉川氏城館跡(小倉山城跡)は国の史跡

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百科事典マイペディア 「大朝」の意味・わかりやすい解説

大朝[町]【おおあさ】

広島県北西部,島根県に接する山県(やまがた)郡の旧町。可愛(えの)川水源地の山地を占め,主集落大朝は広島〜浜田間と広島〜川本〜大田(おおだ)間の交通の中継点に当たり,浜田自動車道が通じ,周辺の商業中心。米,野菜を産するほか,乳牛を中心とした畜産も行う。2005年2月山県郡芸北町,千代田町,豊平町と合併し町制,北広島町となる。90.50km2。3477人(2003)。

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普及版 字通 「大朝」の読み・字形・画数・意味

【大朝】だいちよう

諸侯が参朝する。

字通「大」の項目を見る

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デジタル大辞泉プラス 「大朝」の解説

大朝

「だいちょう」と読む。全国紙「朝日新聞」の前身のひとつ、「大阪朝日新聞」の略称。

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