日笠下村
ひかさしもむら
[現在地名]和気町日笠下
日笠川の中流部に開けた谷間の小盆地にある。北は日笠上村、西は才ノ峠を経て益原村。中世には一帯に日笠保が成立していた。文安二年(一四四五)八月日の日笠村諸免田畠下作人等注進状案(安養寺文書)に守行名・生子名や尻懸村の得成名・随楽名など二一の名がみえ、反別田四反余・畠三町四反余・奥山五反。尻懸村は現在鹿帰と記し通称として残る。慶長一八年(一六一三)の和気郡御勘定帳に日笠村とみえ、物成二三二石余、夫米一三石余、粟年定七石。寛永備前国絵図に日笠下村とみえ、高四二五石余。正保郷帳には枝村として鞦村が載る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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