改訂新版 世界大百科事典 「日置弾正正次」の意味・わかりやすい解説
日置弾正正次 (へきだんじょうまさつぐ)
日置流射術の祖。明応年間(1492-1501)の人であるが,生没年は不詳。伊賀(三重県)の生れ(大和説もあり)で,宗品,影光,豊秀とも称し,落髪して瑠璃光坊道以(威徳)と称した。北面の武士として戦場で名をあげたが,致仕してから射術修業に専念,その技は精妙を極め,飛・貫・中の悟りを開き近世射術の基礎を築いた。各地を遊歴して衆を集め,辻的,勧進的などを催し射術の普及に努めた。彼の確立した歩射射術は,従来の上流社会の弓に対し大衆の弓として多くの人々に受け入れられた。59歳で没したが,その終焉の地は高野山,近江,伊賀など諸説ある。正次の打ち立てた革新の射のすべては吉田重賢(吉田流の祖)・重政父子に受け継がれ,後に全国に分流分派していった。
執筆者:入江 康平
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