朝日日本歴史人物事典 「日辰」の解説
日辰
生年:永正5(1508)
戦国時代の日蓮宗の僧。広蔵院という。幼くして京都住本寺日法について得度,以後諸寺を歴訪して日蓮教学を学ぶ。その学識は広く,仏教はもとより神道,周易,医学,儒学にまでおよんだという。茶人としても名高く,村田珠光の門に入り村田宗親と号した。天文17(1548)年,天文法華の乱(1536)によって洛外追放処分を受けていた上行院,住本両寺を合して要法寺と改称,京都堀川に再興して同13世となる。日興門流に属する諸山間の融和を試み,みずから甲駿地方(山梨,静岡)に下って大石寺,北山本門寺,西山本門寺などの間の調停を行った。また教学の振興にも努め,要法寺に勧学寮を設けて弟子を育成した。有名な健筆家で生涯において等身の著作を残したといわれる。学匠として,のち保田妙本寺の日我とならび「西辰東我」(西の日辰,東の日我)と称された。<参考文献>立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上
(佐藤弘夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報