朝日日本歴史人物事典 「日野資勝」の解説
日野資勝
生年:天正5(1577)
江戸前期の公家。権大納言輝資の子。母は津守国繁の娘。慶長4(1599)年参議,16年権中納言,19年権大納言となる。後水尾天皇譲位に際して,幕府の譴責を受け辞任した中院通村にかわり,父輝資が武家昵近衆として徳川家康の知遇を受けたことから,寛永7(1630)年武家伝奏となり朝幕間の斡旋に努める。16年まで在職。その日記『資勝卿記』は,10年にわたる武家伝奏在任期の記録も残され,江戸前期の朝幕関係を知る貴重な資料。資勝は,また後水尾院の立花会の重要メンバーであり,当時ブームとなった椿栽培においても珍種「日野椿」の栽培で知られる。法名涼源院。<参考文献>熊倉功夫『寛永文化の研究』
(母利美和)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報