朝日日本歴史人物事典 「堀直寄」の解説
堀直寄
生年:天正5(1577)
江戸初期の越後国(新潟県)長岡,村上藩主。はじめ三十郎。父は直政。父に従い,豊臣秀吉に仕え,堀秀政・秀治父子に属した。慶長3(1598)年従五位下,丹後守に任ぜられ,越後国に1万石を与えられる。5年8月の上杉遺民一揆の鎮圧に功があり,徳川家康・秀忠の賞を受け,7年蔵王堂城主(長岡市)堀鶴千代(秀治の子)の後見役となる。福島藩(新潟県)の執政であった父直政の没後,福島藩の政務をめぐり直政の嫡子直次と異母弟の直寄との間の争いで,福島藩主堀忠俊は改易となったが,直寄は信州飯山城4万石を与えられている。その後,大坂両陣の功などによって加増を重ね,元和2(1616)年に越後国長岡藩8万石に封ぜられた。さらに4年には,越後国岩船郡,蒲原郡の内で10万石を与えられて村上藩主となった。直寄はその間,長岡城下町,新潟町の建設を行い,村上移封後は,村上城と城下町の建設のほか,総検地,新田開発を積極的に進めている。しかし寛永11(1634)年以後は徳川家光上洛の供奉や江戸城普請手伝いなどで財政困窮に直面するなか,同16年江戸で没した。
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報