日銭屋(読み)ひぜにや

改訂新版 世界大百科事典 「日銭屋」の意味・わかりやすい解説

日銭屋 (ひぜにや)

土倉と同じく中世の金融業で,利用者は土倉より零細であった。室町期の京都北野では土倉40ヵ所,酒屋14ヵ所に対して日銭屋1ヵ所があった。室町幕府法には,洛中洛外酒屋土倉並びに味噌屋等役銭は,請酒(うけざけ)・請味噌・日銭屋のほかはつとむべきことが記されているので,日銭屋は役銭(公役)を免除されていたことがわかる。したがって,応仁の乱後,酒屋・土倉のなかには課役を逃れるため,権門勢家の被官となったり,あるいは請酒屋・請味噌屋などと号し,隠れて質物をとって営業するものが増加したという。土倉は質物を取り,課役がかかるのに対して,日銭屋は質物を取らず,課役もかからなかった。また利息日歩であり,土倉が月利である点でも違っている。日歩であるだけに土倉より高利であり,それを利用する人々の零細性と通じるものがある。日銭屋の合銭も,土倉・酒屋のそれと同じく,徳政令の適用をうけた。
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