日高亀市(読み)ヒダカ カメイチ

20世紀日本人名事典 「日高亀市」の解説

日高 亀市
ヒダカ カメイチ

江戸時代末期〜大正期の漁業家 日高式鰤大敷網完成者。



生年
弘化2年2月4日(1845年)

没年
大正6(1917)年10月23日

出生地
日向国臼杵郡伊形村赤水(宮崎県延岡市)

経歴
慶応2年父・喜右衛門と共に鰤の建刺網を考案したが失敗。その後、技術改良に努め、明治8年鰤の沖廻刺網を考案、一網3000余匹を捕獲。さらに研究を重ね、25年には5000匹という好成績をあげた。43年改良を加えて“日高式大敷網”と名付け、全国に普及し、これにより近代定置網漁業発展の基礎が築かれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日高亀市」の解説

日高亀市 ひだか-かめいち

1845-1917 明治時代の漁業家。
弘化(こうか)2年2月4日生まれ。父喜右衛門の研究をうけつぎ,底刺し網によるブリ漁を改良し,沖廻し刺し網を発明。明治24年長男栄三郎とともに日高式大敷網を考案し,ブリの定置網漁業の発展につくした。大正6年10月23日死去。73歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の日高亀市の言及

【大敷網】より

…しかし,台網類においては,沿岸漁業の中で比較的早期にそのような状態から脱出するための技術改良が達成された。第1に1892年(明治25)宮崎県の日高亀市・栄三郎父子によって新たなブリ大敷網が考案された。この日高式大敷網は従来の大敷網と異なり,身網が全部麻網で作られ,網形も2倍以上の大きさであった。…

【台網】より

…長門・肥前を中心とする西南系大敷網,越中・能登を中心とする北陸系台網,陸前・陸中を中心とする東北系大網,陸奥・北海道方面の建網の4種である。これらのうちとくに注目されてよいのは1892年宮崎県の日高亀市・栄三郎父子による大敷網の発明,また同父子による1910年の大謀網の考案,12年富山県の上野八郎右衛門による上野式大敷網の発明などがあげられる。かくして台網の技術改良による著しい発達をみたのであるが,昭和期に入るや落網(おとしあみ)がこれに代わるところとなった。…

※「日高亀市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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