日高信六郎(読み)ヒダカ シンロクロウ

20世紀日本人名事典 「日高信六郎」の解説

日高 信六郎
ヒダカ シンロクロウ

大正・昭和期の外交官,登山家 元・駐イタリア大使。



生年
明治26(1893)年4月10日

没年
昭和51(1976)年6月18日

出生地
神奈川県

出身地
福岡県

旧姓(旧名)
高橋

学歴〔年〕
東京帝大法学部政治学科〔大正8年〕卒

経歴
幼いとき北九州に移る。大正8年外務省に入り、南京総領事、上海総領事、南京公使、駐イタリア大使、外務省研修所長などを歴任。登山家としても知られ、10年28歳の夏、モン・ブランに日本人として初めての登頂をする。日本国連協会副会長、日本ネパール文化協会会長、日本山岳会会長などもつとめた。著書に「朝の山残照の山」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日高信六郎」の解説

日高信六郎 ひだか-しんろくろう

1893-1976 大正-昭和時代の外交官,登山家。
明治26年4月10日生まれ。外務省にはいり,イタリア駐在大使,外務省研修所長などをつとめる。15歳で日本山岳会に入会。大正10年夏日本人初のモンブラン登頂。昭和33年日本山岳会会長となる。昭和51年6月18日死去。83歳。神奈川県出身。東京帝大卒。著作に「朝の山残照の山」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「日高信六郎」の解説

日高 信六郎 (ひだか しんろくろう)

生年月日:1893年4月10日
大正時代;昭和時代の外交官;登山家。駐イタリア大使;日本山岳会会長
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日高信六郎の言及

【モン・ブラン[山]】より

…これがアルプスでのスポーツ登山の開幕となった。モン・ブランはアルプスの最高峰として最も多くのルートを有するが,日本人の初登頂は1921年夏,外交官日高信六郎による。アルプス[山脈]【近藤 等】。…

※「日高信六郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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