国指定史跡ガイド 「旧萩藩校明倫館」の解説
きゅうはぎはんこうめいりんかん【旧萩藩校明倫館】
山口県萩市江向にある学校跡。明倫館は、5代長州藩(萩藩)藩主毛利吉元(よしもと)が1719年(享保4)、家臣の文武修業を目的に、萩城三の丸追廻し筋に開校させた藩校である。当初の敷地は940坪であった。1849年(嘉永2)、13代藩主毛利敬親(たかちか)の時代に、現在地である江向に移された。完成した新明倫館は敷地1万5184坪、建物総坪数1万1328坪、練兵場3020坪という広大な規模であった。敷地内にある水練池は、周囲を玄武岩の切り石で築いた、東西39.5m、南北15.5m、深さ1.5mの池で、遊泳術や水中騎馬訓練が行われた。藩校の水練池ではわが国に現存する唯一のものである。また、有備館は旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張したもので、北半分の板間39畳を剣術場、南半分の土間54畳を槍術場とし、藩士の練武のほか、他国からの修行者との試合も行われた。明倫小学校・萩商業高校・萩裁判所の約1万4300坪がその跡地で、現在、明倫小学校の敷地内に、有備館、水練池、創立の由来などを記した明倫館碑2基がある。1929年(昭和4)に国の史跡に指定された。2003年(平成15)に、聖廟の跡地や発掘調査で確認された南門跡と既指定地を結ぶ地域が追加指定され、名称が「旧萩藩校明倫館」に変更された。JR山陰本線萩駅からコミュニティバス「萩市役所」下車、徒歩すぐ。