早川貞水(読み)ハヤカワ テイスイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「早川貞水」の解説

早川 貞水
ハヤカワ テイスイ


職業
講談師

本名
早川 与吉

旧名・旧姓
長島

生年月日
文久1年

出生地
江戸・神田(東京都)

経歴
江戸神田の商人・長島秀蔵の二男として生まれ、のち早川与惣右衛門の養子となる。17歳で講釈界に入り、旭堂南慶の門下となり早川慶寿を名乗る。以後、4代目一竜斎貞山、2代目松林伯円、初代桃川如円門を転々とし、明治24年3代目真竜斎貞水門下となり3代目双竜斎貞鏡と改名、32年4代目真竜斎貞水を襲名した。明治末年亭号を本姓に改め早川貞水とした。教育講談師と称し、「力士伝」が得意で通称“お相撲貞水”と呼ばれた。また大正天皇及び各皇族の御前講演を行い、内務省嘱託となって地方巡回公演したため“御用講談師”とも呼ばれた。

没年月日
大正6年 5月14日 (1917年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「早川貞水」の解説

早川 貞水
ハヤカワ テイスイ

明治・大正期の講談師



生年
文久1年(1861年)

没年
大正6(1917)年5月14日

出生地
江戸・神田

本名
早川 与吉

旧姓(旧名)
長島

経歴
江戸神田の商人・長島秀蔵の二男として生まれ、のち早川与惣右衛門の養子となる。17歳で講釈界に入り、旭堂南慶の門下となり早川慶寿を名乗る。以後、4代目一竜斎貞山、2代目松林伯円、初代桃川如円門を転々とし、明治24年3代目真竜斎貞水門下となり3代目双竜斎貞鏡と改名、32年4代目真竜斎貞水を襲名した。明治末年亭号を本姓に改め早川貞水とした。教育講談師と称し、「力士伝」が得意で通称“お相撲貞水”と呼ばれた。また大正天皇及び各皇族の御前講演を行い、内務省嘱託となって地方を巡回公演したため“御用講談師”とも呼ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川貞水」の解説

早川貞水 はやかわ-ていすい

1861-1917 明治-大正時代の講談師。
文久元年江戸の商人の家に生まれる。旭堂南慶にまなび,はじめ早川慶寿と名のる。内務省嘱託となって地方を巡回して公演,御用講談師とよばれた。大正6年5月14日死去。57歳。旧姓は長島。本名は与吉。前名は3代双竜斎貞鏡,4代真竜斎貞水。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の早川貞水の言及

【寛政力士伝】より

…小田原の仇討相撲は一席物として今日でもよく演じられる。これを語って有名な真竜斎貞水(しんりゆうさいていすい)(のちに早川貞水,1917没)は国技館木戸御免であったし,貞鏡時代の1896年に《寛政力士伝》を刊行した。【吉沢 英明】。…

※「早川貞水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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