早道場町
はやみちばまち
[現在地名]新発田市早道場
加治川を隔てて新発田城下の東北方、坂井川と姫田川が合流するところに位置し、水陸交通の要衝で、近世には隣接する三日市町とともに加治宿を構成した。この両町は「弐町御座候得共、一丁弐丁と申差別無御座候」(寛政元年「御尋箇条書上帳」新発田市史資料)といわれるように、集落は地続きである。なお、東方の加治山(要害山)には中世、佐々木加地氏の山城があったが、当地水田中の字箱館・里館は加地氏の居館のあったところと考えられている。
近世ははじめ村上藩領で、正保国絵図は「早道場村」と記し、二〇〇石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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