朝日日本歴史人物事典 「昌子内親王」の解説
昌子内親王
生年:天暦4(950)
平安中期の皇女,皇后。朱雀天皇と保明親王の娘煕子の皇女。母は出産後ほどなく没したので,父が寵愛,養育した「えもいはず美しき女御子」だった。その父も昌子が3歳のときに没すが,「后に立てたい」との遺言で,応和3(963)年2月28日14歳で東宮憲平親王(冷泉天皇)元服の日に副臥として入内,東宮妃。康保4(967)年冷泉即位の年,18歳で皇后となるが,冷泉天皇には狂気の行動が多く,しかも勢力ある摂関家の女性たちが入内したため,後見人の乏しい昌子は里第にこもりがちだった。子はなく,深く仏法に帰依し,石蔵(岩倉)観音院に荘園を施入したり供養を行ったりした。天延1(973)年皇太后,寛和2(986)年太皇太后。長保1年病が重く,和泉式部の夫橘道貞の三条邸で死去した。信仰に忠実に,西方に向かっての往生であった。庶民と同様,質素な葬送,土葬とすることなどを遺言し,石蔵観音院に葬られた。『新古今集』などに和歌が残る。
(服藤早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報