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昌子内親王

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美術人名辞典の解説

昌子内親王

明治天皇の第六皇女。常宮と称する。北白川宮能久親王の長男竹田宮恒久王と結婚。東京慈恵会総裁・婦人共立育児会総裁などを務める。昭和15年(1940)歿、五一才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

昌子内親王 まさこないしんのう

しょうしないしんのう

昌子内親王 しょうしないしんのう

950-1000* 平安時代中期,冷泉(れいぜい)天皇の中宮(ちゅうぐう)。
天暦(てんりゃく)4年生まれ。朱雀(すざく)天皇の第1皇女。母は煕子(きし)女王。康保(こうほう)4年中宮,天禄(てんろく)4年皇太后,寛和(かんな)2年太皇太后となる。仏教に帰依(きえ)し,京都岩倉の大雲寺に観音院を創建した。和歌が「新古今和歌集」などに収録されている。長保元年12月1日死去。50歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

昌子内親王

没年:長保1.12.1(1000.1.10)
生年:天暦4(950)
平安中期の皇女,皇后。朱雀天皇保明親王の娘煕子の皇女。母は出産後ほどなく没したので,父が寵愛,養育した「えもいはず美しき女御子」だった。その父も昌子が3歳のときに没すが,「后に立てたい」との遺言で,応和3(963)年2月28日14歳で東宮憲平親王(冷泉天皇)元服の日に副臥として入内,東宮妃。康保4(967)年冷泉即位の年,18歳で皇后となるが,冷泉天皇には狂気の行動が多く,しかも勢力ある摂関家の女性たちが入内したため,後見人の乏しい昌子は里第にこもりがちだった。子はなく,深く仏法に帰依し,石蔵(岩倉)観音院に荘園を施入したり供養を行ったりした。天延1(973)年皇太后,寛和2(986)年太皇太后。長保1年病が重く,和泉式部の夫橘道貞の三条邸で死去した。信仰に忠実に,西方に向かっての往生であった。庶民と同様,質素な葬送,土葬とすることなどを遺言し,石蔵観音院に葬られた。『新古今集』などに和歌が残る。

(服藤早苗)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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