明教堂跡(読み)めいきようどうあと

日本歴史地名大系 「明教堂跡」の解説

明教堂跡
めいきようどうあと

[現在地名]清武町加納 上中野

文政一〇年(一八二七)一〇月一二日に落成した飫肥藩の郷校。跡地は半九はんきゆう公園の安井息軒旧宅真向いにあり、現在は民家が建ち、説明板があるのみ。明教堂の落成以前は清武地頭松岡四郎信安の役所(中野地頭所)を借りて学問所として教員を置き、子弟を教えていた。その頃飫肥おび(現日南市)八幡馬場はちまんばば学問所が設立され、清武郷でも安井滄洲(息軒の父)の教導で文教興隆の気運が表れ、文政九年に郷中で協議し、郷校創建を議決し藩庁の許可を得て、同一〇年一月五日から工事に着手、約一〇ヵ月で竣工した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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