明教堂跡(読み)めいきようどうあと

日本歴史地名大系 「明教堂跡」の解説

明教堂跡
めいきようどうあと

[現在地名]清武町加納 上中野

文政一〇年(一八二七)一〇月一二日に落成した飫肥藩の郷校。跡地は半九(はんきゆう)公園の安井息軒旧宅真向いにあり、現在は民家が建ち、説明板があるのみ。明教堂の落成以前は清武地頭松岡四郎信安の役所(中野地頭所)を借りて学問所として教員を置き、子弟を教えていた。その頃飫肥(おび)(現日南市)に八幡馬場(はちまんばば)学問所が設立され、清武郷でも安井滄洲(息軒の父)の教導で文教興隆の気運が表れ、文政九年に郷中で協議し、郷校創建を議決し藩庁の許可を得て、同一〇年一月五日から工事に着手、約一〇ヵ月で竣工した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ガラス管球内に入れた高抵抗線に電流を流し,ジュール熱によって高温となり放射する光を利用するもの。抵抗線としてはタングステンが用いられ,その蒸発を防ぐためアルゴンおよび窒素ガスが管内に約 0.7気圧封入...

白熱電球の用語解説を読む