日本歴史地名大系 「明沢村」の解説 明沢村あけさわむら 秋田県:平鹿郡平鹿町明沢村[現在地名]平鹿町醍醐(だいご)東は奥羽山脈に連なる山地、北は馬鞍(まくら)村、西は梨木羽場(なしぬきはば)村(現十文字町)、南は亀田(かめだ)村(現増田町)に接する。「梅津政景日記」元和六年(一Z二〇)一月六日条に、伊達家臣後藤寿庵知行所の百姓親子が上浦(かみうら)(現雄勝(おがち)郡・平鹿郡)へ欠落し、赤沢村にいたのをみつけて殺したとある。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に「赤袴新田」とみえ、享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)によれば、正保、貞享の諸帳に赤沢村、寛文の郷村高辻帳に赤袴村、元禄郷帳以後は明沢村と記し、正保と元禄は「誤而新田出」としたが、「誤而新田ニ出と記候儀ハ本田ヲ新田ニ出候分」と解説がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報