日本歴史地名大系 「亀田村」の解説
亀田村
かめだむら
近世から明治三五年(一九〇二)までの村。亀田半島の基部、亀田川流域にある。西は函館湾、南は津軽海峡。近世は東在の村で、元禄郷帳・天保郷帳ともに亀田村と記す。「此所は箱館より先に開けたる」(地名考并里程記)といわれ、「西は熊石東は亀田、此両所に関所有て是より外は蝦夷地とする」(北海随筆)とあるように和人地の東境で、松前藩の関所が置かれていた。慶長(一五九六―一六一五)末期には番所が置かれ、白鳥孫三郎が詰めていたとされる(蝦夷島奇観)。
寛文九年(一六六九)、シャクシャイン蜂起の知らせは亀田から松前に注進された。「津軽一統志」に亀田は「川有 澗あり 古城有 一重
元禄一六年(一七〇三)六月の大雨で破壊家屋が三〇戸に及び、番所や寺院も被災した(福山秘府)。また、船懸りのよい澗があったが、亀田川の運ぶ土砂で遠浅になり、箱館村の澗に船が懸かるようになる(「松前蝦夷記」など)。
亀田村
かめだむら
南を
「六郡郡邑記」によると「元和八年戌年掃部と申者明沢村より引越明沢村、升田村両土地開出致候」とある。享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に「元禄、亀田村但新田出、其外諸帳不出」とあり、元禄一五年(一七〇二)の郷帳には亀田新田村と記載されたと思われる。享保一四年の平鹿郡御黒印高帳(秋田県庁蔵)に、本田並・新田合計当高一千二一一石余とあり、家数は亀田村二〇軒のほか、支郷
亀田村
かめだむら
亀田村
かめだむら
亀田村
かめだむら
- 三重県:亀山市
- 亀田村
亀山城下の北に位置し、東は
亀田村
かめだむら
亀田村
かめだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報