明神堂町
みようじんどうまち
[現在地名]米沢市城北一―二丁目
中間町東町の東、元籠町西端から直角に北に延び白子大明神に至る道の東側の中・上級家臣屋敷町。両側に宝珠寺、北端に白子大明神、社と家臣屋敷の東側に馬場が配置されている(文化八年城下絵図)。享保一〇年(一七二五)の城下書上によれば町の長さ二町二二間・道幅五間・屋敷数八(うち厩一)。ほかに中間町東町に出る長さ三〇間・道幅二間の横町がある。また当町東の御清水町表町と結ぶ長さ一町四二間・道幅二間・屋敷数三(うち馬場守屋敷一)の馬場先町と、長さ一町四七間・道幅三間半・屋敷数一の馬場後ノ町がある。弘化三年(一八四六)の屋敷割帳では屋敷数一〇・寺六・社一。当町馬場は追廻馬場と称し、慶長一七年(一六一二)常陸国の人見宗次の設計・総監により建設が始められ、諸士のほか郡中からも人夫を出させ、同一九年完成した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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