明願寺(読み)みようがんじ

日本歴史地名大系 「明願寺」の解説

明願寺
みようがんじ

[現在地名]岡崎市伊賀町 西郷中

伊賀いが地籍の西端、沖積地に臨む洪積台地樹林に囲まれた伽藍がみえる。法城山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、もと天台宗で真福しんぷく寺の別院であったが、文明二年(一四七〇)住僧清山の時、本願寺蓮如に帰依して真宗となった。第八世了忍の時慶長一三年(一六〇八)本願寺准如より親鸞の画像を下付されたという。第一二世樸民は、茶を好み山田宗遺物を収集した。これは、宗が当地に半年ほどとどまった時のもので、今ある茶席もその当時の遺物であるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「明願寺」の解説

明願寺

(愛知県岡崎市伊賀町字西郷中111)
ふるさとの森指定の地域遺産。
面積2,950【m2】

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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