普天間村(読み)ふていまむら

日本歴史地名大系 「普天間村」の解説

普天間村
ふていまむら

[現在地名]宜野湾普天間ふてんま・普天間一―二丁目・新城あらぐすく一―二丁目・野嵩のだけ二丁目・同四丁目

野嵩ぬだき村の西、西流して東シナ海に注ぐ普天間ふていま川左岸の段丘上にある。フティマとよばれる。初め中城なかぐしく間切に属し、嘉靖三八年(一五五九)一〇月一五日の今帰仁掟宛の辞令書(県立図書館蔵)に「中くすくまきりのふてま」とみえる。慶長一八年(一六一三)一二月一五日の金応煦摩文仁親方安恒宛知行目録(南島風土記)にも同間切の「普天間村」がみえる。絵図郷村帳でも中城間切として「寺ふてま村」とある。「南島風土記」によれば、村名は琉球八社の一つ普天間ふてんま宮および神宮寺があることにちなむといい、普天間宮を中心に集落がある。琉球国高究帳ではていらふてま(ティラフティマ)村として高頭一二〇石余、うち田四二石余・畠七七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報