コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

智泉聖通 ちせん しょうつう

2件 の用語解説(智泉聖通の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

智泉聖通 ちせん-しょうつう

1309-1388 鎌倉-南北朝時代の尼僧。
延慶(えんきょう)2年生まれ。四辻善成の姉。順徳天皇の曾孫。石清水(いわしみず)八幡宮の別当善法寺通清と結婚し紀良子(きの-よしこ)を生む。のち出家し,臨済(りんざい)宗の夢窓疎石に師事。京都に通玄寺をひらき,その後曇華(どんげ)庵をたて隠居した。嘉慶(かきょう)2=元中5年11月25日死去。80歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

智泉聖通

没年:嘉慶2/元中5.11.25(1388.12.24)
生年:延慶2(1309)
鎌倉末・南北朝期の臨済宗の尼で,尼五山通玄寺の開山。順徳天皇の孫の四辻宮尊雅王の娘。兄は夢窓疎石の高弟で天竜寺第2世の無極志玄石清水八幡宮の社家善法寺了清(通清)に嫁ぎ,足利義詮 の妻で義満, 満詮の母である紀良子を含め数人の子を生む。のちに出家し夢窓疎石に師事して仏道を極める。応安7/文中3(1374)年ごろには清水坂に庵を構え(『後愚昧記』),のちに高倉通三条上ル西側に通玄寺を創建。康暦2/天授6(1380)年の通玄寺仏殿経始の記事(『空華日用工夫略集』)から開基はこのころと考えられている。至徳2/元中2(1385)年に通玄寺東庵を構え隠居した。東庵はのちに曇華院に発展,応仁の乱で通玄寺が焼失したあとに寺跡を継いだ。<参考文献>『通玄寺史』,大石雅章「比丘尼御所室町幕府」(『日本史研究』335号),芝野康之「室町加州における一在京領主について」(『中世の社会と一向一揆』)

(岡佳子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

智泉聖通の関連キーワード正韵鎌倉五山尼五山尼寺五山鎌倉尼五山京都尼五山済家景愛寺愚仁尼清渓

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone