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高階隆兼 たかしな たかかね

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美術人名辞典の解説

高階隆兼

鎌倉時代後期の宮廷絵師。一説に邦隆の次男、また隆親の次男という。姓は藤原、春日・土佐を称し、のちに高階と改める。従五位下絵所預右近大夫将監。花園天皇の勅命により『春日権現験記』を描く。また藤原為信筆『賀茂祭絵詞』を写した。画風は繊細華麗で、鎌倉時代大和絵の完成を示すものである。延慶頃(1308~1311)歿。

出典|(株)思文閣
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デジタル大辞泉の解説

たかしな‐たかかね【高階隆兼】

鎌倉後期の絵師。絵所預(えどころあずかり)。大和絵技法の完成者とされる。「春日権現(かすがごんげん)験記絵巻」「春日明神影向御車図」が現存。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

高階隆兼【たかしなたかかね】

鎌倉後期の画家。生没年不詳。《春日権現(かすがごんげん)験記絵》の作者として知られる。
→関連項目石山寺縁起絵巻

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高階隆兼 たかしな-たかかね

?-? 鎌倉時代の画家。
宮廷の絵所預(えどころあずかり)をつとめる。現存作品に絵巻「春日権現験記」(宮内庁),「春日明神影向(ようごう)御車図」(藤田美術館)があり,「石山寺縁起」(石山寺)も隆兼がえがいたとつたえられる。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

高階隆兼

生年:生没年不詳
鎌倉後期の宮廷絵所絵師。右近大夫将監。後伏見・花園天皇膝下の宮廷絵師として一時代を画した。延慶2(1309)年から元徳2(1330)年までの記録がたどれ,後伏見院寄進の日吉社神輿の彩色(1315),花園天皇の命による「愛染明王像」(1321),藤原為信筆の「加茂祭礼絵巻」の模写(1330)などがある。確定的な作品として御物「春日権現霊験記」(1309,宮内庁蔵)と「春日影向図」(1312,藤田美術館蔵)がある。前者は平安期の絵師常磐光長以来のやまと絵の伝統を復古させ,明度の高い色調と抑揚感のある軽やかな描線を用いた,格調のある完成度の高い作品である。隆兼自身の,あるいはその様式による現存作品として「玄奘三蔵絵巻」12巻(藤田美術館蔵),石山寺「石山寺縁起絵巻」7巻(内1~3巻が隆兼筆),京都矢田寺矢田地蔵縁起絵巻」(2巻)などがある。また「絵師草子」(東京国立博物館蔵),「なよたけ物語絵巻」(金刀比羅宮蔵)など同様式の作例もあり,その影響は南北朝半ばごろまで続く。後継者に次代の宮廷絵所絵師を務めた隆継がいる。

(相澤正彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たかしなたかかね【高階隆兼】

鎌倉末期の絵師。生没年不詳。1309年(延慶2)から1330年(元徳2)まで,宮廷の絵所預の任にあった。代表的遺品として,時の権力者西園寺公衡が発願し1309年春日大社に奉納された《春日権現験記》があげられる。絵巻としては珍しい高価な絹地を用い,20巻に及ぶ大作を高い密度をもって終始入念に描いている。伝統的な宮廷絵所の正系を受け継いだ隆兼にふさわしく,それまでのやまと絵の表現技法を集大成した感があり,そこに諸モティーフの洗練しつくした様式化,精緻鮮麗な賦彩,簡潔的確な描線とそれを生かす彫り塗り技法,さらには装飾的表現のうちに深い情趣性を保つ自然描写など独自の表現を加え,明晰で典雅な画風を作り出している。

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大辞林 第三版の解説

たかしなたかかね【高階隆兼】

鎌倉後期の画家。宮廷絵所預。「春日権現験記」「春日明神影向御車図」が現存。生没年未詳。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高階隆兼
たかしなたかかね

鎌倉時代末期の絵師。延慶2 (1309) 年3月奉納になる『春日権現験記絵巻』制作当時は,宮廷の絵所預 (えどころあずかり) として活躍,元徳2 (30) 年までその任にあった。また記録類から,その画事は絵巻のほか仏画の制作や神輿 (みこし) の彩色にまで及ぶことが知られる。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高階隆兼
たかしなたかかね

生没年未詳。鎌倉後期の画家。1309年(延慶2)に奉納された隆兼筆『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』(宮内庁)の目録によれば、当時、隆兼は宮廷の絵所預(えどころあずかり)であった。したがって13世紀末にはすでに宮廷を中心として盛んに活躍していたと考えられる。1312年(正和1)ころ制作の『春日明神影向御車図(かすがみょうじんようごうみくるまず)』(大阪市・藤田美術館)も現存する。以後、文献によれば、隆兼は神輿(しんよ)の彩色、仏画の制作など幅広く画事を展開していたことが知られる。さらに30年(元徳2)まで絵所預を務めたが、同時代の遺品には隆兼派あるいはその影響を受けた作品もみられ、当時一世を風靡(ふうび)した画家であったと考えられる。隆兼の画風は、それまでの大和絵(やまとえ)のさまざまな表現・技法を網羅しながら、さらに鮮麗な色彩や写実的な描写を加味した華やかなものであったことが遺品から知られる。[加藤悦子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の高階隆兼の言及

【春日権現験記】より

…御物。付属の目録奥書によって,1309年(延慶2)に西園寺公衡(きんひら)が春日明神の加護による藤原氏一門の繁栄を祈願するため春日大社に奉納したこと,絵は宮廷の絵所預(えどころあずかり)高階隆兼(たかしなたかかね)が描き,詞書を公衡の弟,覚円法印が起草して前関白鷹司基忠とその子息3人が書き写したことが知られる。絵巻としては珍しく絹本を用い,保存もきわめて良く,鎌倉後期の社寺縁起絵巻の代表作といえる。…

※「高階隆兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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