鎌倉末期の絵師。生没年不詳。1309年(延慶2)から1330年(元徳2)まで,宮廷の絵所預の任にあった。代表的遺品として,時の権力者西園寺公衡が発願し1309年春日大社に奉納された《春日権現験記》があげられる。絵巻としては珍しい高価な絹地を用い,20巻に及ぶ大作を高い密度をもって終始入念に描いている。伝統的な宮廷絵所の正系を受け継いだ隆兼にふさわしく,それまでのやまと絵の表現技法を集大成した感があり,そこに諸モティーフの洗練しつくした様式化,精緻鮮麗な賦彩,簡潔的確な描線とそれを生かす彫り塗り技法,さらには装飾的表現のうちに深い情趣性を保つ自然描写など独自の表現を加え,明晰で典雅な画風を作り出している。ここに達成された隆兼様式ともいうべき新たな表現様式は当時の絵画界に強い影響力をもち,その伝来において《春日権現験記》と近い関係にある《法相宗秘事絵詞》(玄奘三蔵絵)12巻をはじめ《石山寺縁起》の最初の3巻などが同系統の絵巻遺品としてあげられる。彼の遺作としては,1312年(正和1)鷹司冬年が夢で感得したという姿を描いた《春日明神影向図》(藤田美術館)があり,他に仏画の制作や神輿の彩色など宮廷絵所の画家としての幅広い活動が知られている。
執筆者:田口 栄一
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生没年未詳。鎌倉後期の画家。1309年(延慶2)に奉納された隆兼筆『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』(宮内庁、国宝)の目録によれば、当時、隆兼は宮廷の絵所預(えどころあずかり)であった。したがって13世紀末にはすでに宮廷を中心として盛んに活躍していたと考えられる。1312年(正和1)ころ制作の『春日明神影向御車図(かすがみょうじんようごうみくるまず)』(大阪市・藤田美術館、重要文化財)も現存する。以後、文献によれば、隆兼は神輿(しんよ)の彩色、仏画の制作など幅広く画事を展開していたことが知られる。さらに1330年(元徳2)まで絵所預を務めたが、同時代の遺品には隆兼派あるいはその影響を受けた作品もみられ、当時一世を風靡(ふうび)した画家であったと考えられる。隆兼の画風は、それまでの大和絵(やまとえ)のさまざまな表現・技法を網羅しながら、さらに鮮麗な色彩や写実的な描写を加味した華やかなものであったことが遺品から知られる。
[加藤悦子]
(相澤正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
生没年不詳。鎌倉後期のやまと絵の絵師。1309年(延慶2)制作の「春日権現験記」に付属する目録には,「絵 右近大夫将監高階隆兼 絵所預」と記され,その官職・身分が知られる。花園天皇の命で絵画制作にたずさわったという記録も残る。前代までのやまと絵を集大成し,美しい色彩と細緻な描法を特色とする。同様な画風の作品に「玄奘(げんじょう)三蔵絵」(国宝)「駒競行幸(こまくらべぎょうこう)絵巻」「矢田地蔵縁起絵巻」(ともに重文)などがあり,その画風が流行したことをうかがわせる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…御物。付属の目録奥書によって,1309年(延慶2)に西園寺公衡(きんひら)が春日明神の加護による藤原氏一門の繁栄を祈願するため春日大社に奉納したこと,絵は宮廷の絵所預(えどころあずかり)高階隆兼(たかしなたかかね)が描き,詞書を公衡の弟,覚円法印が起草して前関白鷹司基忠とその子息3人が書き写したことが知られる。絵巻としては珍しく絹本を用い,保存もきわめて良く,鎌倉後期の社寺縁起絵巻の代表作といえる。…
※「高階隆兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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