智蘊(読み)チウン

デジタル大辞泉 「智蘊」の意味・読み・例文・類語

ちうん【智蘊】

[?~1448]室町中期の連歌師本名蜷川新右衛門親当にながわしんえもんちかまさ足利義教に仕え、和歌正徹しょうてつに学んだ。著「親当句集」。

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精選版 日本国語大辞典 「智蘊」の意味・読み・例文・類語

ちうん【智蘊】

  1. にながわちうん(蜷川智蘊)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「智蘊」の意味・わかりやすい解説

智蘊
ちうん
(?―1448)

室町中期の連歌(れんが)作者。俗名蜷川新右衛門親当(にながわしんえもんちかまさ)。代々足利(あしかが)氏に仕える武士の家に生まれ、6代将軍義教(よしのり)のもとで右衛門少尉(しょうじょう)に任ぜられたが、義教横死(1441)後出家したらしい。早くから禅宗に帰依(きえ)しており、智蘊という法諱(ほうき)および五岑(ごしん)という道号はともに禅僧から受けた。正徹(しょうてつ)に和歌を学んだ。連歌の師は明らかではないが、1433年(永享5)の「北野万句」参加以降作品が伝存し、宗砌(そうぜい)・忍誓(にんぜい)と並んで活躍した。宗祇(そうぎ)の選んだ七賢の一人。自撰(じせん)句集に『親当句集』があり、『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』『竹林抄(ちくりんしょう)』にも作品が多い。平明で優艶(ゆうえん)な作風が評価されている。

奥田 勲]

『石村雍子著『和歌連歌の研究』(1975・武蔵野書院)』

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朝日日本歴史人物事典 「智蘊」の解説

智蘊

没年:文安5.5.12(1448.6.13)
生年:生年不詳
室町時代の連歌師。俗名蜷川新右衛門親当。宮道氏の出身で足利義教に仕えたが,義教の死後出家,智蘊と称した。和歌を清巌正徹に学び,『正徹物語』下巻は彼の聞き書きといわれる。連歌では,のちに飯尾宗祇が選んだ連歌七賢のひとりであり,永享5(1433)年『北野社一日一万句連歌』に参加するなど活躍。高山宗砌と共に連歌中興の祖となった。『兼載雑談』にわが子の平凡な付合をひどくしかった逸話があり,常に最も芸術性の高い響きをと心掛け,細やかな神経を句に払っていたことがわかる。文安4(1447)年の『何人百韻』の発句「名も知らぬ小草花咲く川辺かな」は素直な美しさで有名な代表作である。

(伊藤伸江)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「智蘊」の解説

智蘊 ちうん

蜷川智蘊(にながわ-ちうん)

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