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室町中期の連歌師。山名家の家臣で、俗名高山民部少輔(みんぶしょうゆう)時重。連歌を梵灯(ぼんとう)に学び、和歌は正徹(しょうてつ)の門に入る。出家遁世(とんせい)して高野山居の身となり、梵灯死去の翌年、師説をもとに『初心求詠集』を著す。1433年(永享5)北野社万句に出座、以後しだいに京都の連歌界の第一人者となり、48年(文安5)北野会所奉行(ぶぎょう)となる。54年(享徳3)山名宗全の退居に伴い但馬(たじま)に下り、翌年1月16日没。70余歳か。『古今連談集』『花能万賀喜(はなのまがき)』などの連歌論書、『宗砌句』などの句集、多くの一座連歌作品があり、一条兼良(かねら)の『新式今案(しんしきこんあん)』に協力しての式目改定の功も大きい。
[島津忠夫]
『金子金治郎著『新撰菟玖波集の研究』(1969・風間書房)』
…連歌では,二条良基が善阿を称して〈近代地下(じげ)の宗匠〉といっているのは,第一人者の意と思われる。1448年(文安5)幕府の命により京都北野社の連歌会所の奉行職に高山宗砌(そうぜい)がつき,そのあと,能阿,宗伊,宗祇(そうぎ),兼載らが任ぜられたが,この人々は宗匠と称された。里村昌叱(しようしつ)は豊臣秀吉から,昌琢(しようたく)は徳川秀忠から朱印状を下付され,花の本(はなのもと)宗匠家として認められて,以後,里村家は幕府の連歌師を勤めた。…
※「宗砌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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