日本歴史地名大系 「暮坂村」の解説 暮坂村くれさかむら 兵庫県:出石郡出石町暮坂村[現在地名]出石町暮坂福見(ふくみ)村の南、菅(すげ)川最上流域の谷間にあり、西は浅間(あさま)峠(浅間坂)を境に養父(やぶ)郡浅間村(現八鹿町)。正保(一六四四―四八)頃の国絵図に村名がみえ、高一二六石余。出石封内明細帳では拝領高一三四石余・改出高九石余、これらの内訳は屋敷一石余・麻畑二斗余・田方一二〇石余・畑方二一石余、ほかに古新発高二五石余・新発高六石余、家数二八・人数一二九。小物成として茶代米四升余・山手米二斗余、刈畑役の蕎麦二石二斗・小豆四斗・粟一石五斗、桑代の真綿一三七匁余ほかを上納していた。 暮坂村くれさかむら 石川県:鳳至郡門前町暮坂村[現在地名]門前町暮坂井守上坂(いもりあげさか)村の北東、皆月(みなづき)湾を東に入った山地に立地。中世は志津良(しつら)庄の内。大永元年(一五二一)から天文五年(一五三六)頃と推測される渓和尚志津良庄年貢帳(棘林志)に「暮坂分」とみえ、一五五束刈・年貢二貫一六四文の田地があった。正保郷帳では高二四石余、田方三反・畑方一町三反余。承応三年(一六五四)の村御印では同高、免四ツ九歩(能登奥両郡収納帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by