曲直瀬玄朔(読み)まなせ げんさく

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曲直瀬玄朔」の解説

曲直瀬玄朔 まなせ-げんさく

1549-1632* 織豊-江戸時代前期の医師
天文(てんぶん)18年生まれ。伯父曲直瀬正盛(しょうせい)(初代道三)にまなび,2代道三をつぐ。天正(てんしょう)14年法印。正親町(おおぎまち)天皇,後陽成(ごようぜい)天皇,豊臣秀次診療。慶長13年徳川秀忠の治療のため江戸にまねかれた。寛永8年12月10日死去。83歳。名は正紹。号は東井,延命院,延寿院。著作に「常山方」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の曲直瀬玄朔の言及

【医学天正記】より

…曲直瀬玄朔(まなせげんさく)(2代道三(どうさん))が1576年(天正4)から1606年(慶長11)にわたるみずからの診療記録を整理したもの。1607年成立。…

【反魂丹】より

…しかし,日本の反魂丹は中国のそれとは違って,《儒門事親(じゆもんじしん)》に見える妙功十一丸に近い内容の丸薬である。曲直瀬玄朔(まなせげんさく)が命名したという延寿反魂丹が正名で,麝香丸(じやこうがん)の別名もある。足利将軍家や戦国武将の畠山氏も使ったといわれるから,16世紀ごろからの薬方である。…

※「曲直瀬玄朔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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