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曲直瀬玄朔 まなせ げんさく

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

曲直瀬玄朔 まなせ-げんさく

1549-1632* 織豊-江戸時代前期の医師。
天文(てんぶん)18年生まれ。伯父曲直瀬正盛(しょうせい)(初代道三)にまなび,2代道三をつぐ。天正(てんしょう)14年法印。正親町(おおぎまち)天皇,後陽成(ごようぜい)天皇,豊臣秀次を診療。慶長13年徳川秀忠の治療のため江戸にまねかれた。寛永8年12月10日死去。83歳。名は正紹。号は東井,延命院,延寿院。著作に「常山方」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

曲直瀬玄朔

没年:寛永8.12.10(1632.1.31)
生年:天文18(1549)
安土桃山時代,江戸前期の医者。幼名は大力之助,名は正紹,号は東井,通称は玄朔のち道三(2代)を襲名,院号は延命院,延寿院。初代道三の妹の子として京都に生まれる。幼くして両親を失い道三に養育され,天正9(1581)年にその孫娘を娶って養嗣子となり道三流医学を皆伝された。法眼から法印に進み,豊臣秀吉の番医制に組み込まれて関白秀次の診療にも当たった。文禄4(1595)年の秀次切腹に連座して常陸国(茨城県)に流され,のち赦免されて帰京し朝廷への再出仕も許された。徳川家康・秀忠に仕え江戸邸と麻生(港区)に薬園地を与えられた。江戸で没し,薬園地に生前建てていた瑞泉山祥雲寺(のち渋谷へ移転)に葬られた。初代道三の選した著作を校訂増補して道三流医学の普及をはかり,野間玄琢,井上玄徹,饗庭東庵らのすぐれた門弟を輩出させて初代道三とともに日本医学中興の祖と称せられる。<著作>『済民記』『延寿撮要』『薬性能毒』<参考文献>宮本義己「豊臣政権の番医」(『国史学』133号)

(宗田一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の曲直瀬玄朔の言及

【医学天正記】より

…曲直瀬玄朔(まなせげんさく)(2代道三(どうさん))が1576年(天正4)から1606年(慶長11)にわたるみずからの診療記録を整理したもの。1607年成立。…

【反魂丹】より

…しかし,日本の反魂丹は中国のそれとは違って,《儒門事親(じゆもんじしん)》に見える妙功十一丸に近い内容の丸薬である。曲直瀬玄朔(まなせげんさく)が命名したという延寿反魂丹が正名で,麝香丸(じやこうがん)の別名もある。足利将軍家や戦国武将の畠山氏も使ったといわれるから,16世紀ごろからの薬方である。…

※「曲直瀬玄朔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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